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NHK NEWS WEB
作詞・作家 なかにし礼さん死去|NHK 首都圏のニュース
「北酒場」や「石狩挽歌」など、昭和を代表するヒット曲の作詞家で、直木賞作家のなかにし礼さんが、23日、心筋梗塞のため東京都内の病院で亡くな…
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永井均
@hitoshinagai1
哲学をやっています。2014年からツイッターを始めました。私が何を言っているのか理解したい方は、まずは近年の主著である『世界の独在論的存在構造-哲学探究2』(春秋社)からお読みください。これら拙著における議論を前提にしたことを呟きますので、読まずにリプライ等をしないようにお願いします。
永井均
@hitoshinagai1
私は森田童子の熱狂的ファンだが、彼女どこまで作り物(規格品)であったかを知りたかった。彼女は引退してマネージャーだった前田亜土と結婚したが、彼はもともとアドプロの社長で、74年になかにしとともに風吹ジュン誘拐事件を起こし、翌75年に童子がデビューしている…。
2020-12-25 19:22:02
永井均
@hitoshinagai1
また、風吹ジュン事件には、なかにし礼の兄の中西正一も関係していたようだが、森田童子は彼の娘(次女)であり、なかにし礼の『兄弟』によれば、この一家は(無収入のため)なかにし家に同居している。しかし、そういう興味を離れても『兄弟』は非常に面白い。
2020-12-25 22:55:48
永井均
@hitoshinagai1
『兄弟』によれば、このお兄さんは大嘘つき(虚言症?)のようである。私は娘の森田童子もそれに近い妄想家だと感じる。歌詞がすべて作り話なのは当然として、MCもすべてそうである(ように聞こえる)ところがいささかデモーニッシュ。それこそが(私には)魅力なのだが。
2020-12-26 19:52:48
永井均
@hitoshinagai1
それでも、「森田童子」という形象自体が(服装等々を含めて)最初からアドプロの企画の産物だったのか、という点にはやはり疑問もあって、その辺りの事情を知っている人物が全員亡くなられたという事実に、私は深く心を動かされているのです。終わり。
2020-12-27 11:59:00
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Wikipedia
なかにし礼
なかにし 礼(なかにし れい、1938年9月2日 - 2020年12月23日)は、日本の小説家、作詞家。本名は中西 禮三(なかにし れいぞう)。 満州国の牡丹江省牡丹江市(現在の中華人民共和国黒竜江省)に生まれる。元は北海道小樽市に在住していた両親は、渡満して酒造業で成功を収めていた。終戦後、満州からの引き揚げでは家族とともに何度も命の危険に遭遇、この体験は以後の活動に大きな影響を与えた。8歳の時に小樽に戻るが、兄の事業の失敗などで小学校は東京と青森(青森市立古川小学校)で育ち、中学から東京品川区大井町に
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デイリー新潮
風吹ジュンは誘拐されホテルで軟禁… 昔、芸能人の事務所移籍はこんなに大変だった | デイリー新潮
近年、芸能人が事務所を移ることは、それほど珍しい話ではなくなった。…
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Wikipedia
森田童子
森田 童子(もりた どうじ、1953年1月15日 - 2018年4月24日)は、日本の女性シンガーソングライター。本名は非公開。芸名は笛吹童子に由来。 東京都出身(札幌のコンサート会場で配布されたチラシ「森田童子ラフスケッチ」によると、1952年に青森で生まれたとなっている)。全共闘などの学園闘争が吹き荒れる時代に友人が逮捕されたことをきっかけに、1970年に高校を中退。気ままな生活を送っていたが、20歳のとき友人の死をきっかけに歌い始める(この亡くなった友人をモチーフにした曲が、デビュー曲となる「さよな
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日刊ゲンダイDIGITAL
森田童子の引退10年後「ぼくたちの失敗」がミリオンセラー|ロフト創業者が見たライブハウス50年
1973年に西荻窪ロフトでライブハウスデビューを果たした森田童子は、10年後の83年12月に新宿ロフトのステージ...
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Wikipedia
永井均
永井 均(ながい ひとし、1951年11月10日 - )は、日本の哲学者。日本大学文理学部哲学科教授。専攻は哲学・倫理学。 (2017年5月現在)
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永井均
@hitoshinagai1
2013年出版の『哲学の賑やかな呟き』(プネウマ舎) は中核は森田童子論で、その部分の初出は2008年です。 twitter.com/weary_samurai/…
2020-12-27 10:36:05