独ソ戦と鉄道

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@bukrd405

二つの大戦間の四半世紀に、自動車は便利で融通の利く輸送手段としての地位を確立していた。しかし、第二次世界大戦でも鉄道は参戦国にとってやはり欠かすことのできない存在だった。自動車や航空機がいくら発達したとはいっても、燃費やスペースの面でも鉄道の方ほうがはるかに効率がよい。

2012-04-02 18:30:46
@bukrd405

なにしろ貨車一両で、兵員100名以上、荷重にして50トン以上を運ぶことができるのである。鉄道が重要な役割を果たし続けることができたのは、ひとつには、思いのほか航空機からの攻撃に耐性が高かったためだ。大きな駅や貨物操車場は、爆撃機からも比較的攻撃しやすかったし、

2012-04-02 18:34:02
@bukrd405

(承前)橋はもちろん爆撃に弱かったが、平原のただなかを走る細い線路を狙うのはそう簡単ではなかった。ヨーロッパの鉄道網に持続的な損害を与えるうえでも、航空機よりパルチザンの破壊工作のほうが、長期的に見れば効果的だった。『世界鉄道史』(クリスティアン・ウォルマー、河出書房新社)

2012-04-02 18:36:45
@bukrd405

それどころか、戦争と鉄道の歴史を研究しているジョン・ウェストウッドによれば、狙って爆弾を投下するより、でたらめにばらまいたほうが効率がよいほどだった。

2012-04-02 18:38:44
@bukrd405

ドイツ軍が鉄道で最も苦労したのは東部戦線だった。第一次世界大戦のとき、ロシアは自国の西部に鉄道が無いために苦しんだが、今回はそのおかげで助かった。防衛側のソ連軍より、攻撃側のドイツ軍のほうがそれによって足を引っ張られたからだ。適切な鉄道輸送は、攻撃側より防衛側に有利に働く。

2012-04-02 18:47:59
@bukrd405

1世紀前にロシア皇帝は、ヨーロッパの隣国はみな標準軌を用いていたのに、侵入軍に対する防衛のために異なる軌間を採用すると強く主張したが、先見の明というしかない。

2012-04-02 18:48:30
@bukrd405

1941年6月にソ連国内への攻撃を開始したときには、ドイツ軍は補給を維持するのに大いに苦労することになった。ポーランドとソ連の国境で、列車から列車へ貨物を積み替えなくてはならなかったからだ。ドイツは自動車輸送を重視していたが、ソ連の道路は悪路で名高く、ウェストウッドによれば、

2012-04-02 18:50:54
@bukrd405

(承前)「現実には、自動車の輸送能力は馬とほとんど変わらなかった」。ソ連軍は貨車をほとんど残していかなかったから、ドイツ軍は輸送力の不足に悩まされた。鉄道の輸送能力は必要量の10分の1ほどで、そのためにレニングラードへの進軍のスピードが大きく低下している。

2012-04-02 18:53:26
@bukrd405

何百マイルもの線路の軌間を変更して侵攻に役立てようとしたものの、それには厖大な労働力を注ぎ込まねばならず、おかげでさらに進軍のスピードが鈍る結果になった。そんなこんなで、ドイツ軍のレニングラード攻めは、予定より大幅に―おそらくは取り返しがつかないほど―遅れることになったのである。

2012-04-02 18:56:10
@bukrd405

鉄道網はまばらではあったが、戦争の初期には、ドイツ軍の侵攻に対応して工場の施設や労働者を避難させるのに使われた。西からの攻撃を予想して、物資をあらかじめ東部へ移動させていたのもよかった。このおかげで、ドイツ軍よりはるかに多くの機関車を確保していたからだ。

2012-04-02 19:05:05
@bukrd405

いっぽうドイツ側は、自国製の機関車が寒冷な気候に向いていなかったためにさらに足を引っ張られた。レニングラードでもモスクワでも、その防衛戦に鉄道は重要な役割を果たしている。モスクワのぐるりに新たに建設された郊外環状線はとくに重要で、これがあったおかげで、

2012-04-02 19:22:57
@bukrd405

(承前)ソ連軍は首都に入らずとも国じゅうに部隊を移動させることができた。またレニングラード―第二次世界大戦中最大の包囲戦の舞台となった―では、包囲されているあいだも外部からの補給が完全に断たれることはなかったが、それも鉄道のおかげだった。市内に至る線路が切断されても、

2012-04-02 19:25:35
@bukrd405

(承前)凍ったラドガ湖〔レニングラードの東にあるヨーロッパ最大の湖〕を自動車隊が渡り、対岸まで来る列車と落ち合っていたからだ。

2012-04-02 19:27:24