家族でいることはばらばらでいること――『おおかみこども』評

やぬおか(@yanuoka)くんの『おおかみこどもの雨と雪』評を勝手ながらとぅぎゃりました。美しい分析です。
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@yanuoka

『おおかみこども』について自分が何を書いてもまぬけに聞こえる気がする 本当に恐いなぁ

2012-08-16 19:57:12
@yanuoka

でも恐れずに言うなら『おおかみこども』の主題は、「家族でいることはバラバラになること」っていう家族の逆説だと思うなぁ それを3つの表現の方法によって、セリフで明示することなく伝えくれてると思います

2012-08-16 20:02:09
@yanuoka

まずひとつ目は、花ちゃんの回想を雪ちゃんが語るっていう二重の再話の形式をとっていること ふたつ目は、基本的に観客は花ちゃんに同一化させられること そして最後は、その同一化を脅かすシーンが後半に侵犯してくること

2012-08-16 20:16:58
@yanuoka

観客の花ちゃんへの同一化については、たとえば雪ちゃんがだだをこねるシーンとかお父さんの死のシーンが挙げられます 観客はそこでは花ちゃんの目から見えるものしか見れないし、お父さんの死の原因も、花ちゃんの視点から書かれてるので分かりようもありません

2012-08-16 20:19:47
@yanuoka

それらの場面では、観客は「そんな変身してだだをこねられてもどうしようもないものはどうしようもないんだよ」とか「何で死んだんだよ」っていう気持ちを当然抱くと思うのですが、それは花ちゃんが抱いてる気持ちでもあります 前半部では花ちゃんの視点から語られ観客は花ちゃんに同一化します

2012-08-16 20:24:12
@yanuoka

それが頂点に達するのが雪の山を駆けるシーンです ここでは1人称の視点から描写されますが、それは雪ちゃんや雨きゅんの視点であると同時にその後ろを駆ける花ちゃんの視点でもあります ここでは観客が全ての人物と視点を共有し最高の映像美を堪能するという至福の時間があります

2012-08-16 20:28:32
@yanuoka

そしてそれは花ちゃんがこども二人の気持ちを十全に理解して「家族がひとつになってる」ということでもあります 花ちゃんは都会では窮屈な(と思ってる)こどものことを思い引っ越しますし、おおかみの表象について悩む雨きゅんのことも理解しています

2012-08-16 20:36:46
@yanuoka

このようにこどもを十分理解する花ちゃんに観客が同一化するという構造が見事に解体されるのが後半です それは内容の面からも形式の面からもです たとえばはじめてシンリンオオカミに出会うシーンでは親子の見ているものが違うということが示されます

2012-08-16 20:40:04
@yanuoka

そこで花ちゃんはオオカミの育て方を聞こうとしますが、雨きゅんは野生で育つことのなかったシンリンオオカミの寂しさを感じます そしてこの親子のすれ違いは、形式の面で、花ちゃんに見えない(よって観客にも見えない)ものが増えることと、花ちゃんが見てないものが見えることで表されます

2012-08-16 20:45:01
@yanuoka

たとえば、雨きゅんの気持ちは雪山を駆けるシーンの前までは描かれますが、それ以降、何をしているかさえも断片的にしか書かれなくなります たとえば、山で先生に会って山の生活を学んでいることも花ちゃんが本人に直接聞かされその目で見るるまでは全く分かりません

2012-08-16 20:49:51
@yanuoka

ここでまず、花ちゃんの視点から語られたことであり、花ちゃんが見てない息子の様子は当然観客もみることができないという制約があったのだということに気づかされます そしてそれは同時に、花ちゃんがついに息子の心が分からなくなったということでもあります

2012-08-16 20:53:13
@yanuoka

そしてさらに『おおかみこども』の優れている点は、花ちゃんが見てないことが語られることによっても、花ちゃんとこどもの距離がしだいに離れているということが示されることです それは雪ちゃんの学校での生活のシーンです

2012-08-16 20:55:15
@yanuoka

この雪ちゃんの学校の様子は花ちゃんが見ているはずのないシーンですが、それはしだいに増えます なぜならばこれは花ちゃんの回想の雪ちゃんによる再話だからです つまり雪ちゃんしか知りえないことが増えることは、親と子で、同じ時同じことについて認識が違うことが増えてきたということです

2012-08-16 21:00:41
@yanuoka

そして、最後の嵐の日では、母と娘で、記憶し回想することはまるで別の物語です 花ちゃんは雨きゅんとの別れ、雪ちゃんは二人で学校に取り残されたことであって、二人の記憶はまるで違います

2012-08-16 21:10:30
@yanuoka

このように、雪山のシーンのあと、後半部では、雨きゅんしか知りえないシーンがあまり描かれないことと、雪ちゃんしか知りうないシーンがしだいに描かれることで、花ちゃんがこどもと同一化できなくなってきたことが巧みに表現されています

2012-08-16 21:13:24
@yanuoka

では、この『おおかみこども』は一家が離散する悲惨な話かと言えば全くちがいます ラストシーンでは雨きゅんも雪ちゃんも家からいなくなり花ちゃんが一人でいますが、そこにあるのは人生の静かな充実です

2012-08-16 21:18:12
@yanuoka

それはたとえば、家族が同じ場所で同じものを見て同じことを考えてる瞬間に到来するものではありません 花ちゃんにおいて人生が充実するのは、そよ風のなかに遠くにいる息子の声を聞いたり、娘の晴れの日の写真をながめる瞬間です

2012-08-16 21:39:20
@yanuoka

つまり『おおかみこども』は、子に同一化する親に観客が同一化して映像美を堪能する幸せな時期が、花ちゃんの努力にも関わらず、子にしか見えない場面の出現と欠落によって解体され、家族がばらばらのまま、家族であること実感して充実する時期へと成熟していく話だと思います

2012-08-16 21:47:17
@yanuoka

そして家族でいるということはばらばらになることだという主題が(これが主題歌で盛大にネタばれされます)、母親からの視点という表現の形式をめぐる動揺のなかで展開されるところが、主題の切なさとあいまって実にいいと思うのです 

2012-08-16 21:50:22
@yanuoka

特に、家族について『サマーウォーズ』からの主題の発展や、家族という共同体でいることへの妄執をたぎらせる作品が巷にあふれることを考えると、この「家族でいるということはいつか皆がばらばらになるということだ」という主題を抱えた『おおかみこども』のもたらす清涼感は言い尽くせません

2012-08-16 21:58:26
@yanuoka

こうして貴重な一日が修論以外のことに費やされました

2012-08-16 21:59:56