太公望と周りの人の比較と共通点

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@h_kousatsu

~太公望と周りの人の比較と共通点~(1/10) 太公望という人物は不思議だなぁと思っております。 人間臭くもあり、逆に人間臭くなさすぎるところもあり。 人間臭さについては、太公望は“人間界”を平和にするために動いていたことや、どこまでも仲間のために奔走するところからと思ってます。

2012-01-07 15:33:01
@h_kousatsu

(2/10) そして人間臭くない点ですが、自分自身に執着していないところからそう思っています。 例えば楊ぜんとの第3のテスト時、風林・張桂芳戦など。 自分自身すら駒として見ているようだと思いました。 そして駒としての役割は終わったから仲間の前から姿を消したのだとも思います。

2012-01-07 15:33:17
@h_kousatsu

(3/10) 自分自身を駒といえば、妲己もそうだと思います。 敵や、ときに仲間すら欺くために自身を偽るところ、時に自身の評価を貶しめるような言動をすること。 それから最終目標が自分自身にのみ帰依しないところもです。 それを悟って、太公望も最後は妲己を認めて手を伸ばして……?

2012-01-07 15:33:30
@h_kousatsu

(4/10) もし妲己の手に届いていたら、太公望はどうするつもりだったのでしょう。 引き留めて殺すのか、あるいは……。 何にせよ、妲己は地球の母となり生命を見守り、伏羲は地球の未来を創って、各々の目標を達成した訳ですが、なんだか妲己と太公望が地球という子供の母と父に見えてきました

2012-01-07 15:33:49
@h_kousatsu

(5/10)  太公望と妲己の違いですが、利己主義者と利他主義者というところでしょうか。 妲己は自分の手を汚さずに自分の目的を追求し、太公望は自分の身を削ってまで他人の為に尽くしました。 他人を慈しむ心を持っていても、こうも違いが表れてしまうのですね。

2012-01-07 15:34:03
@h_kousatsu

(6/10) 上の「駒」についてですが、逆に聞仲は自身が先頭に立ち、常に凛とした姿勢で自他ともに律していました。 また、太公望は「人間界の“自由”」ことを目標にしていたのに対して、聞仲は「人間界を“管理”下に置く」ことを目標にしていたという違いはあります。

2012-01-07 15:34:19
@h_kousatsu

(7/10) しかし両者とも「人間界の“平和”」を願っており、自分の身は二の次で他人を護りつつ全力疾走したところは共通しており……。 もし聞仲と太公望が何らかの手を組んでいれば、と思わざるを得ません。 

2012-01-07 15:34:33
@h_kousatsu

(8/10) 例えば聞仲が周の側に移り、そうすれば飛虎とも和解が出来て……。これはアニメ版の展開ですね。……もしかしてアニメ版は原作の前のループで、アニメの最終話のあとあの世界はジョカにより……!? 

2012-01-07 15:34:44
@h_kousatsu

(9/10) それはおいといて、考えると殷に固執する聞仲のルーツの朱氏さんが死亡しなければ聞仲は仙道にはならなかったですし、殷と敵対する太公望のルーツの姜族の人狩りが無ければ仙道にはならなかったですし……決して交わりえない二人ですね。 彼らもまた限りなく近い平行線みたいな関係です

2012-01-07 15:35:18
@h_kousatsu

(10/10) ついでに申公豹も気になったので。 彼は“自分”が面白ければ人に対しては固執しない人物ではありますが、地球の土地が壊れるのを憂いる一面もあれば(自身の美学に反しているから?)、自分自身も面白さを造り出す駒として動かせば……。 最後まで単純そうで、よく解らない人でした

2012-01-07 15:35:35