太公望について

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@h_kousatsu

(1/11) 実は太公望、孤独な男だと思ってます。 作中でも人の中心にいるようで、誰ともある程度距離をとっています。 作中の行動から考えると、与えるのは得意だけれど受け取るのは苦手な面があるのではないかな、と思います。 例外は普賢と多少、楊ぜんと四不象でしょうか。

2011-12-10 07:05:56
@h_kousatsu

(2/11) その理由として、良くも悪くも”太公望(=呂望)”は人間界に固執をしているのではないかと思います。 軍治、心理学、地学など知識こそ膨大ではありますが、仙人としての修行はさぼりがちでした。

2011-12-10 07:06:15
@h_kousatsu

(3/11) 崑崙入りしてから30年程は真面目に修行をしていたようですが、それも人間界で修行をさせてもらうため。(元始天尊談) 太公望本人も「してやったり」と思ったことからそれが正しいようです。

2011-12-10 07:06:49
@h_kousatsu

(4/11) ここから妄想ですが、太公望がジジイ言葉を使っているのも、本人は72歳の”人間”として振舞っているからではないかなと思います。

2011-12-10 07:07:44
@h_kousatsu

(5/11)仙人を懲らしめるため道士になった太公望。 しかし仙道にはなりきれていない太公望。 人間を愛し、人(ここでは太公望を取り巻く人たち)も愛しているのだけれど、どこか周りの仙道とは感覚のズレがあったのではないでしょうか。

2011-12-10 07:07:56
@h_kousatsu

(6/11) しかし元は真面目な太公望で、信念は決して曲げず、代わりに他の仙道と距離を作っていったのかなぁと。 それでもやはり人間ではないから、人間としても仙道としても宙ぶらりんな位置にあったのではと思います。

2011-12-10 07:08:16
@h_kousatsu

(7/11) 太公望と楊ぜんですが、彼らもまた表と裏の関係ではないかと思ってます。 彼もまた人間(仙人)と妖怪の狭間に位置し、完璧を装っていても内は脆い人物です。 #bou_you

2011-12-10 07:09:00
@h_kousatsu

(8/11) 人を退けながらも救いが欲しいというところが、人を退けながらも救いを与えたい太公望とある意味合致していたのかもしれません。 #bou_you

2011-12-10 07:09:17
@h_kousatsu

(9/13←数え間違えました。すみません) 最終回、伏羲が雲隠れをした理由ですが、終盤では人間界が仙人界を認知する機会は無くなりました。 仙道を目撃した人も、いずれは世代に追いやられ、やがては誰も直接目にする人はいなくなります。 文字通り、仙道は”神”となったわけです。

2011-12-10 07:10:27
@h_kousatsu

(10/13) 太公望にとって、仙道を人間界から排除するといった目的は果たされたので、あとは次の世代にバトンタッチするのみとなります。 だから自分は次の世代にバトンを渡し、あとは成り行きを見守るだけとなったのではないでしょうか。

2011-12-10 07:10:54
@h_kousatsu

(11/13)彼はもう仙道でも人間でも妖怪でもない存在になり、だからこそふっきれたのもあるかもしれません。 ふっきだけに。

2011-12-10 07:11:16
@h_kousatsu

(12/13) しかし、「ぶらぶらしとるよ」と言っておきながらも人間や仲間の仙道にちょっかいを出すあたり、それでも人を必要としているのだと思います。 姫発の前に顔を出したのも寂しかったから、そしていずれは訪れるであろう武吉たちに自分のことを知ってほしかったのかもしれません。

2011-12-10 07:11:42
@h_kousatsu

(13/13) おちゃらけているようで真面目、干渉したがりなようで分をわきまえている、厳しいようで甘い、そして人が好きでも距離をとる。 要領は良いですが、ちょっと生きるのが不器用で、頑固でまっすぐでも素直じゃなくて、しかしそれも自分で解っているのではないでしょうか。

2011-12-10 07:13:32