不賛成です。 RT @micropopster 薔薇がなくちゃ生きていけない。句会がなくちゃ俳句は生き延びていけない。
2013-06-15 01:32:03@leplusvert 現実問題として、俳句、あるいは句集だけで、俳句をつくらない人に魅力を伝えられるか、というのは難しいと思うんですよ。
2013-06-15 01:57:38@micropopster 「俳句、あるいは句集だけで、俳句をつくらない人に魅力を伝えられるか、というのは難しい」のなら、俳句を作ることは無意味であると、私には思えます。
2013-06-15 02:15:33@micropopster 「鶏頭の十四五本もありぬべし 子規」を認めたのは、俳人ではなく歌人の長塚節でありました。「この句がわかる俳人は今は居まい」と長塚節が斎藤茂吉に言った話は有名ですよね。長塚節に句会経験があったかどうかは存じませんが。
2013-06-15 02:10:57@leplusvert 長塚節は子規門下の人だから…というのはありますね。「子規門下、あるいは子規に影響を受けた人」の中で認めたのは長塚節だったという言い方もできます。
2013-06-15 02:23:32@Seki_Etsushi 句会をやってはいかんと言っているわけではないんですけどね。(今日も句会やってきた) 句会の「罪」の部分に無意識でいるのはまずいんじゃないかな。
2013-06-15 02:27:56@leplusvert それはよくわかります。前段で「薔薇がなくちゃ生きていけない」というヨーゼフ・ボイスの言葉(を引用したムーンライダーズの「スカーレットの誓い」の歌詞の一節)を書いたのは(わかりにくいとは思いますが)そういう思いを込めました。でも現実的には…という悩み。
2013-06-15 02:29:16@micropopster @leplusvert アナロジーとしては「俳句」と「句会」逆だったのかも。「俳句がなくちゃ句会は生き延びられない」だと一見バカみたいですが。
2013-06-15 02:51:01@Seki_Etsushi @leplusvert 俳句がなくても句会は生き延びる気がする…。純粋に「言葉のゲーム」化するとか。
2013-06-15 02:58:20@Seki_Etsushi @micropopster 句会でいちばん怖いのは、褒められることですね。褒められると、こんな感じでいいかなと思っちゃう。作家だったら、自己否定を重ねる必要があるんだけど。
2013-06-15 03:04:11@leplusvert @Seki_Etsushi 句会は正直に言い合える場という了解があるから、褒められる反面厳しいことも言われますよね。場の全員が褒めるというのも先ずない。むしろ、句集評や句集の感想の方が、褒め殺しっぽくなりやすいのではないかと…。
2013-06-15 03:15:38@micropopster @Seki_Etsushi 「正直に言い合える」というのはたしかに句会の良い面なんですけど、しょせんは「一定の価値観の中で」というただし書きがつくことが多いんですよ。「この句会の評価基準には限界があるんではないかい」と疑問をどれだけ持つかが大事で。
2013-06-15 03:28:37@leplusvert @Seki_Etsushi よく言われる、高点句に名句なし、というのもそこですよね。その価値観なり評価基準のど真ん中を行く句。
2013-06-15 04:57:21