#雨月物語

雨月物語の定期ツイートまとめ
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崇徳院bot @sutokuin_bot

成仏は自ら拒んでいる。お前は知らないだろうが、この頃の世の乱れはすべて朕の仕業である。生きていたときから魔道に精進し、平治の乱を起こさせたのはわかるか。#雨月物語

2013-06-25 10:29:53
崇徳院bot @sutokuin_bot

死んでもなお、朝廷に祟りをせずにはおれない。いや、死んで魔王になったからこそ、このような攪乱もできる。見よ、やがて天下の大乱が起きる。それは朕の力だ #雨月物語

2013-06-28 14:29:57
崇徳院bot @sutokuin_bot

お前は確かに世の中の道理を説き、白黒をつけようとし、私の罪状を並べ立てた。お前が何もかも間違っているとは言えない。しかし、朕の気持ちも汲んで欲しい。#雨月物語

2013-06-23 22:29:48
崇徳院bot @sutokuin_bot

こんな島に流刑になって、罪人というより捨てられたものとして、松山の粗末な家ともいえぬ家に閉じ込められた。食べ物を届ける者の他には、誰も来てくれない。食べ物を届ける者とて、口は聞かぬ。話相手は自分しかいないのだ。#雨月物語

2013-06-14 12:29:50
崇徳院bot @sutokuin_bot

無情なだけの色の空を行く雁の声も、たまらないものがある。特に夜の枕辺に届けば、知らず知らずのうちに涙が流れる。あれは、都へ飛んで行くのだろうか。また、朝に浜辺で千鳥が鳴いても、心は安らがぬ。千鳥ですら、好きな場所で羽を伸ばせるのだ。#雨月物語

2013-06-26 10:29:51
崇徳院bot @sutokuin_bot

自分が鳥に生まれ変わるしか、都に帰る術はない。きっとこのまま、寂しい海辺のぼんやりと薄い亡霊になるのだ。ならばせめて成仏したいと願い、五部の大乗経を写経した。#雨月物語

2013-04-25 10:30:44
崇徳院bot @sutokuin_bot

しかし寺院もないこの荒磯にとどめ置き、誰にも見られず朽ちさせるのも哀しい。この身はどうにもならないとしても、我が筆の跡だけでも都に帰らせて欲しい、都に入れて欲しいと、仁和寺の法親王に写経と歌一首を送った。#雨月物語

2013-06-24 16:30:05
崇徳院bot @sutokuin_bot

それは怨みつらみなどであるものか。ただただ、見て欲しかっただけだ。お経の文字は千鳥と同じように都へ送られていくが、私だけは松山に留まって泣くばかりだという歌を。#雨月物語

2013-06-11 16:29:57
崇徳院bot @sutokuin_bot

ところが先に知った少納言が、これは帝に対する崇徳院の呪いだと申し上げた。真に受けた弟は、そのまま送り返してきた。そのときの絶望と憎しみがお前にわかるか。#雨月物語

2013-06-25 18:29:49
崇徳院bot @sutokuin_bot

お前も言うように、異国においても我が国でも、帝位を争った兄弟の話は珍しくない。私もその一人だ。罪深いと思ったからこそ、懺悔の気持ちで写経したのではないか。#雨月物語

2013-06-25 20:30:07
崇徳院bot @sutokuin_bot

言いつけるもの、妙なあれこれを吹き込むものがいるからといって、筆の跡さえ都に入れないなどという帝の心。憎しみと怨みで、体と魂は裂けそうだった #雨月物語

2013-06-28 16:29:54
崇徳院bot @sutokuin_bot

となればもう、この写経は魔道に捧げるしかない。そして恨みを晴らそうと思い定める他なかったのだ。在るのは闇ばかり。すがるのは魔物ばかり。指を噛み切り、血で願文を書いた。久しぶりに、流す血も滾った。写経とともに志戸の海に沈めたときは、もう半ば魔物になっていたのだ。#雨月物語

2013-06-11 10:29:54
崇徳院bot @sutokuin_bot

その後はさらに深く閉じこもり、一心に魔王になるのを念じ、魔道に堕ちるのを望み、魔界に囚われ、やがて支配するのを夢見た。 ──そうして、平治の乱が起こった #雨月物語

2013-06-22 16:29:48
崇徳院bot @sutokuin_bot

相模、相模。何をしている。早く重盛の命を奪い、雅仁と平清盛を苦しめよ。随分と前からそのことは命じてあっただろうに。あれらが今も都で権勢を振るっているのは許せぬ #雨月物語

2013-06-23 10:30:59
崇徳院bot @sutokuin_bot

あの仇ども。怨み深い我が海で、根絶やしにしてやろうではないか。なぁ、相模。#雨月物語

2013-06-12 12:29:54
崇徳院bot @sutokuin_bot

よく聞け。帝位は人間至上の位である。上にたつ天子から人道を乱すときは、天の命ずるところにしたがい、民の与望にこたえて、天子たりともこれを伐つのが聖賢(せいけん)の道である。#雨月物語

2013-06-18 16:29:52
崇徳院bot @sutokuin_bot

そもそも永治元年の昔、なんの罪もないのに、父鳥羽院の命によって、自分は帝位を三歳の体仁にゆずって退位したが、この心をみても自分が人欲ふかいとはいえまい。#雨月物語

2013-05-20 18:29:50
崇徳院bot @sutokuin_bot

その体仁が若死されては、わが子の重仁こそ当然天子を統治すべきものと、自分も世間も思っていたのに、美福門院の妬みにさまたげられて、第四皇子の雅仁に帝位をうばわれたのは、まことふかいうらみではないか。#雨月物語

2013-06-05 22:29:57
崇徳院bot @sutokuin_bot

重仁には国を治める才がある。それにたいして雅仁はどれだけの器量があるというのだ。人の徳の有無をも見きわめないで、皇位継承のことを後宮の后に相談しておきめになったのは、父帝のあやまちであった。#雨月物語

2013-06-26 14:31:11
崇徳院bot @sutokuin_bot

しかし自分は、父が御存命中は、子としての孝行と誠をつくして、その不平不満をけっして顔色にも出さなかったが、父がおかくれになったのちは、いつまでも不遇に甘んじ、不平を我慢しておられようかと、ここにはじめて勇気をふるいおこして兵をあげることを決意したのである。#雨月物語

2013-06-09 08:31:37
崇徳院bot @sutokuin_bot

周の武王が臣の身として、君主であった殷の紂王を討ったのさえ、天の命ずるところにしたがい、民の与望にこたえれば、事は成就し、天は認めて、周八百年の世の基(もとい)をひらく大業となったではないか。#雨月物語

2013-06-18 18:29:51
崇徳院bot @sutokuin_bot

その方は出家して仏道に溺れ、来世で、煩悩をのがれて救いをえたいと願う利欲の心から、ほんとうの人間の道をむりに仏道の因果理論にひきつけて説き、尭舜(ぎょうしゅん)の教え、すなわち儒教の説にてらすべきを、仏教に混入して、自分を説得しようとするのか。#雨月物語

2013-05-30 10:29:51
崇徳院bot @sutokuin_bot

汝しらず、近来の世の乱れは朕なす事なり。生てありし日より魔道にこころざしをかたふけて、平治の乱を発さしめ、死て猶朝家に崇をなす。見よ見よ、やがて天が下に大乱を生ぜしめん #雨月物語

2013-05-27 10:29:48