戦後日本の兵器輸出
兵器再生産の後、特需から、国内需要に切り替わる前頃に引き合いも来ていたことは確かだし、事実輸出の実績も存在するし、財界や官側(兵器生産の主管庁は通産省)からも特需がだんだん終わりに近づく前に手を打つべきであるとの主張も存在していたのは確か。
2010-09-30 08:29:28で、結局そのはけ口として、当初供与で始まった自衛隊の装備を徐々に置き換えていく装備の国産化、生産設備の民間転用の方向に向かっていく訳なのだが、じゃ、どうして兵器の輸出というわかりやすい方向に向かわなかったのだろうか。
2010-09-30 08:30:09まず、政府の方、それも外務省当たりがあまり積極的でなかったケースがいくつかある、インドへのレーダーサイト輸出や、台湾へのATM輸出の引き合いはいずれも中華人民共和国との関係を考慮し、反対されたようである。
2010-09-30 08:30:41また、当時の主たる輸出先は東南アジアと見られており、政情が不安定、支払能力が不透明などの点から、実際には通産省も慎重な態度を取っていたようだ。
2010-09-30 08:31:11そうこうしている内に、武器輸出三原則が決められ、輸出自体に制限が掛けられるようになり、世論が武器輸出そのものを問題視するようになり、以降、日本の武器輸出は途絶えることとなるのである。
2010-09-30 08:32:29戦後初の兵器輸出は、タイ国への砲弾輸出、しかも昭和28年のこと、その後、徐々に銃弾、船舶、魚雷、銃、航空機、プラント等が輸出されました、戦後賠償で引き渡されたものも含めると結構行くでしょう。
2010-09-30 08:36:27とまあ、抜き打ちでやってみました、ちなみに、ソースは覚えてません、と言うか多分引きずり出したら出てくると思いますが、インドと台湾のケースはどっから引っ張ったんだっけ、タイへの輸出は割に有名なソースがあります。
2010-09-30 08:38:24そういえば石破さんのお父さん旧内務官僚(ここまでは知ってた)で予備隊令の成立に関わってたのかと言う事を今知る(メモ込み)。
2010-09-30 09:11:22