「軍艦青葉は沈まず」に、第一次ソロモン海戦のあと「艦内にまつってある青葉神社の前に戦勝のお礼と、本艦の武運長久を心をこめて祈った。」という記述があるけど、青葉神社はどこの神様だろう
2014-02-04 12:32:15ざざっと検索したら「軍艦霧島に在る霧島神宮由来の件」という資料がヒットしたので、青葉に関してもこういう取り決めは当然あったんだろうけど、資料は残ってないのかな
2014-02-04 12:52:50「軍艦青葉工事予定~」は以前に読んだことがあるけど、軍艦神社については特に記述はなかった…と思う。というか軍艦神社ってどの時点から艦に祀るものなのかしら
2014-02-04 13:11:02@cosA0202 『歴史群像』2012年8月号の方にも『将兵の心を支えた守り神 艦内神社ガイド』というのがあるみたいですね。
2014-02-04 13:31:34まず艦内(軍艦)神社という名前から、 『じつは艦内神社は用語として正確な表記ではない。本来、神宮別大麻(御札)を納め、神を謹んで祀る場所である「奉齋所」と表記すべきで、内務省神社局の艦内神社に関する記述も「奉齋所」となっている。』
2014-02-04 18:09:28・艦内神社の造りが「三社造り」(御札を入れる扉が3つ)の場合、伊勢神宮の「皇大神宮別大麻」を中央に、向かって右に艦名に由縁する氏神神社(地元の氏神神社)、左に崇敬神社(崇拝する神社)の御札を納めた。
2014-02-04 18:18:17例として「武蔵」の場合、伊勢神宮のほか、艦名である武蔵国の「氏神神社」として明治神宮および氷川神社、武人の「崇敬神社」として東郷神社と、合計2神宮・2神社を一緒に奉祀して「武蔵神社」としていたそうです
2014-02-04 18:21:13・艦内神社を同名の艦に迎える艦内神社祭は、竣工式と同日に催されることが多かったようである。 ただしこれも「艦員自由ノ發意」による非公式行事だった
2014-02-04 18:24:39艦内神社は、艦名縁由の地元あるいは造船会社から寄贈(あるいは希望届け)が出されていたこともあるそうです。 「ドンピシャ」とツイートしたのはこの部分で、『「青葉」には昭和2年6月、在郷軍人会新舞鶴町分会海軍班から祭神および写真の寄贈申請が提出されている』という記述がありました
2014-02-04 18:26:47これについてはアジア歴史資料センターの『軍艦青葉艦名起原に関する件』でも見ることが出来ました。 この内容を簡単に説明すると「軍艦青葉の艦内神社に祭神と写真を贈りたいんですけど、由来は舞鶴の青葉山で間違いないですか?」「そうです」という感じだと思います…多分
2014-02-04 18:34:43在郷軍人会から寄贈申請が出されたのが昭和2年(1927年)の6月で、青葉は進水が1926年9月、竣工が1927年9月なので、やっぱり竣工に合わせるのか
2014-02-04 18:47:05