不運な事故だった。辺境に偶然大型の蒸気トラックが走っていた。イルジニはその近くを歩いていた。ただそれだけだ。偶然トラックのタイヤが小石を弾き飛ばした……それがイルジニの左目に当たった。トラックは猛スピードで去っていく……そして、彼は左目を失ってしまった。 1
2014-10-18 15:15:14イルジニはまだ若い青年だった。すぐさま村の診療所に駆けこんで処置をしたため、命に別条はない。だが、失った左目は再生できなかった。高価な魔女の薬品でもあれば再生するだろうが、それを買う金も、魔女とのコネも無かった。イルジニはしばらく左目のことは諦めていた。 2
2014-10-18 15:20:04そして3年が過ぎた。イルジニは自分の村で木細工の仕事をしている際、行商の者から魔女の噂を聞いた。風変わりな魔女が近くに滞在しているらしい。それは村の近くの森であった。魔女と交渉すれば左目を取り戻すことができるかもしれない……イルジニは早速彼女を訪ねてみることにした。 3
2014-10-18 15:25:12しかし、魔女という存在は恐ろしいものだ。平気で人を食らい、戯れに殺し、呪いをかけたりする。一般的にはそうだ。イルジニはそれでも魔女に会いたいと思っていた。こういった人里近くを旅している魔女は比較的安全なのだ。それは魔女自身の自衛手段だった。 4
2014-10-18 15:29:25魔女は自分のテリトリーでは狩りを行うが、テリトリーを離れ一人旅をする際は殺しなどをしない。それは魔女の契約だった。危害を加えないという契約をすることで、魔女狩りなどから身を守る……そういった安全策を取っているのだ。魔女は集団では強いが、一人では無力だ。 5
2014-10-18 15:33:44もし魔女に対して無礼を働いたり、敵意を見せたりすると、魔女狩りだと思われて反撃されるだろう。なので、イルジニは白いスーツに花束という格好で近くの森へ向かった。こんな恰好は結婚式のときにしかしないだろう。森は歩いて30分ほどの近場だ。革靴でも疲れない。 6
2014-10-18 15:38:30火山灰の荒地を進むと、やがて森が見えてきた。グネグネとねじ曲がった白い枝に、濃い緑の小さな葉がいくつもついている。森はまるで干からびたチーズにはえたカビのような外観だ。村では薪を拾ったりする目的で立ち入ることもよくある。逆にいえばそれ以外特に用も無い場所だ。 7
2014-10-18 15:43:28イルジニは勇気を出して森の中に入っていった。カサカサに乾燥した茶色い落ち葉が厚く地面に積もっている。森は薄暗く、下草はほとんどない。村のものが手入れをしているのだ。イルジニはすぐに魔女を見つけた。というのは、彼女はかなり目立っていたのだ。イルジニは驚いた。 8
2014-10-18 15:47:49重厚な機械音が静かだったはずの森に響いていた。森に入ってすぐ聞こえてきたその音を頼りに進むと、森の中の池のほとりに辿りつく。ガシュンガシュンと金属がぶつかる音がする。シューシューと蒸気が噴き出す音がする。池のほとりに巨大な機械が設置されて唸っていた。 9
2014-10-18 15:51:20機械は立方体の形をしているが、パイプやアンテナがいくつも飛び出している。巨大なチューブが池の中へと伸びていた。細い煙突がいくつも伸び、白い蒸気が噴き出す。歯車が回りクランクが動く。まるで工場だ。機械の高さは3メートルはあるだろうか。そのわきに小さなテントが立っていた。 10
2014-10-18 15:55:59そしてテントの脇に……赤いボロボロのワンピースを着た魔女が大の字で昼寝をしていた。こんなに機械がうるさいのによく眠れるものだとイルジニは感心した。「すいませーん、魔女さん、起きてください」 機械に負けないほどの大きな声を上げて魔女を起こそうとする。 11
2014-10-18 16:01:01魔女はフガッと声を上げて、目を開けた。上体を起こし、訝しげにイルジニを見る。「あのー、魔女さん、お願いがあるのです。俺の左目を治してほしいのです。頼みます。お代は可能な限り融通します」 「目ねぇ……いいよ。条件がある」 そう言って魔女は笑った。 12
2014-10-18 16:05:47「私の研究の実験台になってくれ」 「研究?」 「私の発明品を試させてくれ、ってだけだ。いいのか、悪いのか。さっさと答えてくれ」 魔女は胡坐をかいてニヤニヤ笑う。魔女の実験とは何なのだろうか。いや、気後れしていては左目は治らない。イルジニは契約に応じることにした。 13
2014-10-18 16:08:42「ほう、実験に応じるか。いいだろう。ほら、1、2、3。もういいぞ。左目の眼帯を取ってみろ」 イルジニは何の違和感も感じなかった。まさかもう左目を治してくれたのだろうか? 彼は期待が膨らむのを感じた。はやる気持ちを抑え、急いで眼帯を外す。すると、視界が開けた。 14
2014-10-18 16:19:38「治った! 左目が治った! ありがとうございます! 何とお礼を言っていいものか……」 「ほら、もう終わりだ。さっさと帰れ」 「え、実験は……」 「実験は成功だ。お前は目が見えているんだろう? 何か不都合があるかね?」 「いえ、無いです……あ、これ花束です」 15
2014-10-18 16:23:11イルジニはスキップせんばかりの喜びようで村に戻った。目が見える! それも、なんの対価も無しに治してくれたのだ! 「おい、オヤジさん、見てみろよ。魔女が、目を治してくれたぜ!」 村の入り口で農作業をしていた農夫に話しかける。だが農夫はぎょっとしてイルジニの顔を見た。 16
2014-10-18 16:27:36「何だその目。電球だぞ。本当に見えてるのか?」 「え、電球……? どういう……」 イルジニは左目をさすってみる。すると、つるつるとした硝子の感触がするのだ。急いで家に帰って鏡を見る。確かに眼窩から生えているのは、大きな白熱電球だ。フィラメントが光っている。 17
2014-10-18 16:30:42「実験とはこういうことか……魔女って言うのは、素直じゃないんだな」 イルジニは少しがっかりした。しかし、見えるものは見えるのだ。何の不都合があろうか。それで納得することにした。目をつぶるようにすると、電球は光が消え視界が無くなり、目を開くようにすると光が灯り視界を得る。 18
2014-10-18 16:34:51夜の暗がりでも、電球は夜道を照らしてたいそう便利だった。そしてイルジニは何の不都合も無く、妻を得て、子供を授かった。子供が不思議そうにイルジニの左目を見る。「ねぇねぇ、聞かせて、電球の目の話。その後も、魔女さんに会ったんでしょ」 「ああ、あの魔女とは何回か会ったさ」 19
2014-10-18 16:41:22