ぼっち大学生のぼっち論、大学内村社会、量産型無個性ファッション

ぼっち大学生がいろいろ考えました。驚くほどまとまりがないので注意。 ※ぼっちの解決策については書いていません
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(南東) @KAAKKO_Y

大学にはいろんな人がいる。一目見ただけでどんな人か把握することは難しいし、したつもりでいても必ずどこかには決めつけや偏見があるだろう。

2015-05-29 15:00:06
(南東) @KAAKKO_Y

つまり、ほとんどの人は大学に入学してからしばらくの間は、誰からみても「わからない人間」「赤の他人」なのである。 よほど人脈が広い人でない限り、街中でふと辺りを見回すと、そこにいるのははほとんどが「赤の他人」なはずである。大学もそれと同じである。

2015-05-29 15:01:07
(南東) @KAAKKO_Y

大学を電車に例えてみよう。電車の中では少し変なことをすると周りから嫌な目で見られる。これはまさに大学と同じである。大げさかもしれないが、大学という狭い空間の中では、一度目立ってしまうとたちまち有名人だ。大学生が皆同じようなファッションをしているのもこのせいだろう(量産型大学生)。

2015-05-29 15:02:08
(南東) @KAAKKO_Y

有名人になってしまうと書いたが、この傾向は村社会と同じように、母集団の人数が小さくなるほど顕著である。まるで村八分のようだ。

2015-05-29 15:02:53
(南東) @KAAKKO_Y

学生全体→学部→学科→コース 右に行けば行くほど、同じグループ(例えばコース)の人と講義が重なる確率が高くなる。つまり会いやすくなる。

2015-05-29 15:03:33
(南東) @KAAKKO_Y

大学で「コース八分」に遭うことは、最も被害が大きく避けるべき問題であると同時に、最も起こりやすい問題なのである。これより被害が少なく起こりにくいのが「学科八分」というように続いていく。

2015-05-29 15:04:23
(南東) @KAAKKO_Y

さてこういった「八分」には、「積極的八分」と「不確かな八分」がある。 「積極的八分」は、喧嘩や浮気など人に嫌われるようなことをした結果、グループから追い出されることである。こちらは八分にされたことや、その原因もはっきりしている。

2015-05-29 15:05:25
(南東) @KAAKKO_Y

今から書くことは、「積極的八分」に遭っている人には向いていないと謝っておかなければならない。

2015-05-29 15:06:11
(南東) @KAAKKO_Y

「不確かな八分」とは文字通り、八分にされているかどうかがわからないということである。 実は多くのぼっちがこちらに属する。

2015-05-29 15:07:20
(南東) @KAAKKO_Y

ぼっちにとって昼休み1人で食べるのは、文字通り日常茶飯事だ。 多くの大学には千人以上の学生がいるので、食堂はいつも混んでいる。1人で隅っこの席に座り、黙々と食べている。周りの楽しそうな話し声は途絶えない。

2015-05-29 15:08:02
(南東) @KAAKKO_Y

この光景は何かに似ている。

2015-05-29 15:08:22
(南東) @KAAKKO_Y

夏になれば全国各地で、たくさんの人が集まる祭があるだろう。このような場所に1人で行けば、同じような光景を見るに違いない。

2015-05-29 15:08:57
(南東) @KAAKKO_Y

このときの食堂の状況と祭の状況は、考えてみれば同じではないか。

2015-05-29 15:10:03
(南東) @KAAKKO_Y

皆がぼっちに話しかけないのは当然である。祭で赤の他人に突然話しかけるだろうか。

2015-05-29 15:10:31
(南東) @KAAKKO_Y

ぼっちは誰からも関心を持たれていないが、嫌われていないということだけは確かである。

2015-05-29 15:10:56

量産型大学生についてはもっと深く考えてみたい