佐藤正美Tweet_20150916_30

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佐藤正美 @satou_masami

作曲家メンデルスゾーンの交響曲第三番は、哀愁を帯びた旋律で始まります。私は、この旋律を大好きです。私は、この曲を聴いていて、ふたつの主題を感じます――哀愁の旋律(悲劇性)と戦いの旋律(好戦性)と。サンサーンスの交響曲第三番にも、それらを私は感じます。そういう趣向を私は好む様です。

2015-09-18 10:10:35
佐藤正美 @satou_masami

「浪漫派的天才」を装う気取りは思いのほか通俗化していて、システム・エンジニアにも、多々、観られる現象です。私も うっかりすると、この罠に陥りそうになります。すなわち、私は、時として、事実を凝視しないで、「エレガントな形式的構成」を作ろうという誘惑に駆られることがあります。

2015-09-18 10:14:04
佐藤正美 @satou_masami

モデル論固有の問題は、システム・エンジニアが現実的事態を いかにしてコンピュータのなかに記述するか――言い換えれば、「論理法則」を使って、いかにして、コンピュータのなかでモデル(模型、実例)の形式的構造を与えるか――という問題に帰着するでしょうね。

2015-09-18 10:18:04
佐藤正美 @satou_masami

形式的(すなわち論理的)構成は自然言語を変形しない。ユーザのあいだで すでに疎通している「意味」をシステム・エンジニアの「人生的な芸」で翻訳した構成は、なにがしかの人生論であって、毛頭、意味論ではない。

2015-09-18 10:20:49
佐藤正美 @satou_masami

私は起床すると直ぐにパソコンに向かって文を綴りはじめて、ゆうがたまで、文を綴りながら考えごとをする日々が多いのですが、一日中そういう生活をしていると、ときどき、強烈な虚無感・喪失感に襲われます。すなわち、「私なんぞ、この世にいなくてもいいのかもしれない、、、」と。

2015-09-18 10:24:34
佐藤正美 @satou_masami

モデル論を考えることが仕事であれば、数学や哲学を学習しなければならないし、しかも、数学や哲学を専門にしていないシステム・エンジニアが それらを学習していれば、シロートが ただただ悪戦苦闘している滑稽さを免れない。

2015-09-18 10:27:21
佐藤正美 @satou_masami

数学者や哲学者にとって簡単なことでも、シロートの私が じぶんの腑に落ちるまで咀嚼するには そうとうな苦労をしています。しかし、そんな苦労は、頭の悪い私が払う対価であって、たとえ、苦労して学習しても、私が学習したことなど、学問の世界では、すでに当然のこととして存するにすぎない。

2015-09-18 10:30:33
佐藤正美 @satou_masami

すでに整えられた知識体系を学習するしかない状態、そして、なんら生産することができない状態が続いていれば、ひとりの社会人として、虚無感しか感じられないというのは正常な感覚なのかもしないけれど、そういう状態に どっぷりと浸かっている じぶんを無用の存在と思わざるを得ない、、、。

2015-09-18 10:34:17
佐藤正美 @satou_masami

私は、書物を執筆するときに、いつも、或る種の「ひけめ」を感じます。「『ひけめ』を感じる」という意味は、「こんな 極 当然なことを綴って、いったい、どういう役に立つというのか、、、紙の無駄遣いではないか」という虚無感を感じる、という意味です。

2015-09-18 10:38:18
佐藤正美 @satou_masami

私が書こうとしている知識などは、数学・言語哲学の ちゃんとした文献を読めば もっと正確に学習できることです。そして、そう思いはじめると、私は、キーボードを打つ指が止まってしまって、「こんな知識を書物にするなど、紙の無駄遣いではないか」と感じる次第です。

2015-09-18 10:41:54
佐藤正美 @satou_masami

モデル論というのは、有限個の語彙と有限な しかた で述べられる一組の諸規則であって、そして、それらを習得すれば、現実的事態 [ 情報 ] に対して、形式的構成を与える確実な手段があるのだ、という意識が軽視されているようですね。その確実な手段は、数学・言語哲学が整えてきました。

2015-09-18 10:45:45
佐藤正美 @satou_masami

事業過程・管理過程で使われいる個々の単語は、「それらが現れる文脈のなかで意味をもつ」という事を超えた「解釈」が存在する訳ではないでしょう。とすれば、システム・エンジニアがモデルを作成するときには、個々の単語を、文として生成する文法を考えるのが当然でしょう。

2015-09-18 10:48:40
佐藤正美 @satou_masami

「文『s』が現実的事態 s を指示する」という形式の文に対して、文「s」が「情報」のなかで使われている単語で構成された文に置き換えられて、s が文で指示されている事実的事態であれば良いという単純な――したがって、システム・エンジニアの個人的憶測に頼らない――モデルになるはずです。

2015-09-18 10:52:33
佐藤正美 @satou_masami

モデル作成規則では、「文『s』は、時刻 t において、事態 s に対応している」という誰でもがわかる規約を用意すれば良い、ということです。その規約文を数学では「規約 T 」と云います――「規約 T 」を「真理条件」とも云い、タルスキー氏(数学者)が提示した「真理」の定義です。

2015-09-18 10:57:40
佐藤正美 @satou_masami

「規約 T 」は、単純に言い切ってしまえば、「That's the way as it is (それが事実です)」と同じ意味です。

2015-09-18 11:03:01
佐藤正美 @satou_masami

「経済的実態を、そのまま、コンピュータのなかに記述(構成)する」という意味は、「規約 T 」が原則になる構成を作るということの言い換えです。

2015-09-18 11:06:39
佐藤正美 @satou_masami

モジリアーニは私の好きな画家の一人です。一番に好きな画家かもしれない。彼の作品の中で、私は「青い目の女」が一番に好きです。彼の人生は悲劇的でしたが、彼は人間に対して絶対な信を置いていたのではないかしら。そうでなければ、あれほどの「生々しい」裸婦を描くことはできないでしょう。

2015-09-29 19:47:09
佐藤正美 @satou_masami

私は数学基礎論に魅了されて学習を続けています。それを学習して良かった点の一つは、「真」とされる前提から「真」とされる結論を導く際に、幾つもの無矛盾な推論を構成できるという点を学んだことです。すなわち、考えかたには、「これしかない」ということはないということを学びました。

2015-09-29 19:50:54
佐藤正美 @satou_masami

われわれは、読書のとき、ふつう、黙読しますが、「思想」を読むときに、頭で読むだけでは十分に理解できないのではないかと、ときどき、思うことがあります。「思想」は「耳で聴かなければならない」のではないか、と思う。

2015-09-29 19:53:20
佐藤正美 @satou_masami

古文(日本文学)の「原典」を読む学習を通して、私は学習法を体得したようです――資料(原文と、それに関する良質の研究書)を集めること、辞書(古語辞典、有職故実辞典)を使うこと、そして、当時の生活風習のなかで原文を読み取るようにして、現代的感覚で読み下さないことを体得したようです。

2015-09-29 19:56:58
佐藤正美 @satou_masami

学習では、源流に遡って、そして、源流から再び歴史の順に学問の歩みを辿るというやりかたこそが、当然のやりかたといえば当然のやりかたなのですが、頭でわかっていても、実際には、なかなか、できないでしょう。「原典を読む」というやりかたは、それを確実にやるようにしてくれました。

2015-09-29 20:02:00
佐藤正美 @satou_masami

われわれ凡人が、自惚れて「一匹狼」を気取っても、茶番でしかない。「師友」と「書物(良書)」を大切にして、学習を進めるほかに、学習の道はないでしょうね。

2015-09-29 20:04:24
佐藤正美 @satou_masami

私の「座右の書」は、ウィトゲンシュタイン・道元禅師・荻生徂徠です。ただただ かれらの中へ入ればいい、かれらに連れられてゆけばいい――「信じるほかに、べつの仔細なし」。

2015-09-29 20:06:47
佐藤正美 @satou_masami

「信じるほかに、べつの仔細なし」ということは、たぶん、「考えぬいて至った『信』は、『愛』と切り離して考えることはできない」ということなのでしょうね。だから、狂信に陥らないのでしょう。

2015-09-29 20:08:40
佐藤正美 @satou_masami

ぼろ着て着ぶくれておめでたい顔で(種田山頭火、「草木塔」から)

2015-09-29 20:10:50