三角縁神獣鏡は、中国の鏡か、国産鏡か黒塚古墳に答えがあった 邪馬台国の場所とも絡む話
三角縁神獣鏡について書きます。 三角縁神獣鏡は、一部では卑弥呼が魏からもらった鏡とされ 特に畿内説をとる人は、そうである人が多いです しかし、三角縁神獣鏡を畿内説とするには、いくつもの疑問点があります
2016-04-22 03:34:07・発見されている枚数が多すぎる(500枚以上) ・サイズが中国のものよりも大きい ・存在しない年号が入っている ・年代が合わない ・黒塚古墳での発見された状態(位置、量) ・呉の年号が入っているものがある 前4つに関しては、すでに多くの指摘があるので他を丁寧に説明します。
2016-04-22 03:35:48・黒塚古墳での発見された状態 黒塚古墳は、未盗掘の状態で発見された。なので、その状態は当時の埋葬状況を 詳細に知る重要な手がかりになっている。 黒塚古墳では、頭に一枚の中国鏡、そして棺外に33枚もの三角縁神獣鏡が副葬されていた。 注目すべきは、位置関係と入られ方である。
2016-04-22 03:36:27中国鏡は、棺内に一枚、三角縁神獣鏡は胴体部分を 取囲むように棺外に大量に副葬されていたのである。それが示唆するのは ・当時の人々は、三角縁神獣鏡を中国鏡より価値の低いものとしてみていた つまりそれは、 ・当時の人は、三角縁神獣鏡を国内で大量生産されたものであることを認識していた
2016-04-22 03:38:47・呉の年号が入っているものがある これもかなり致命的だと思うのだが、あまり指摘がない。山梨県と兵庫県から呉の年号が入った 三角縁神獣鏡が発見されている。当時魏と敵対関係にある呉の鏡をどう説明すればいいのだろうか。 魏が呉の鏡をくれたのだろうか。
2016-04-22 03:39:16伝世鏡について、小林が時代のずれを埋めるために伝世鏡理論を主張したがそもそも、そんな奇妙なものは必要ない。 黒塚古墳での出土状況が示すのは、 「そもそも三角縁神獣鏡は威信財ですらない。三角縁神獣鏡は副葬品として死後中央政権から授与される」ものである。
2016-04-22 03:39:48つまり地方豪族、高官に与えらえるという権威的性質を持ったものであったが、生前、対外的に顕示するものではなく死後与えれるものでなのである。
2016-04-22 03:40:31先にあげた矛盾を無理なく説明する妥当な考え方は、 「三角縁神獣鏡は後年、(おそらく中国の工人により)(何らかのものになるモチーフ)のもと 日本国内で大量生産されたものである。
2016-04-22 03:41:11また、威信財ではなく、副葬品として中央政権から授与されるもので、おそらく生前ではなく、死後に授与されたものである。それはその他の刀などの副葬品と同様である。」 ということになる。
2016-04-22 03:42:06つまり吾作と書かれているものは、吾が作ったものではない。年号を含む文章も、一種の文様であり、それが 実態を示すものでないのである。
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