_夕食時にはまだ早く食堂の中はがらんとしている。空き席はいくらでもある。それでもこの娘はカイミェルの向かいに座ってきてくれた。カイミェルはこの距離感にいつも気流を狂わされてしまう。 「こんばんは!」 「こんばんは。デキリィ。今日は寒いね」 11
2016-09-23 19:14:18_年下のデキリィはカイミェルの後輩だ。長い金髪を後ろで縛っている。強風で飛行船は海上の船のようにゆらゆらと煽られていた。デキリィは温かいティーカップを両手で包んで笑う。 「極地方行きは寒くてしょうがないですね」 碧の目が見つめてきた。カイミェルは照れて視線をそらす。 12
2016-09-23 19:22:34_シルフの距離感とはまた違ったものを感じる。シルフがいくら色目を使ってきても「ハイハイ」と流せるのだが、デキリィは何気ないしぐさ全てがカイミェルを悩ませる。 カイミェルも温かいお茶を飲み、話題を合わせる。 「モスルート行きは寒くて仕方ないね」 13
2016-09-23 19:26:59_恋心を刺激されると、決まって昔の失敗を思い出す。恋心を抱いて、心をめちゃくちゃにかき乱されて、嵐のように去っていった彼女を。 「これからもっと寒くなるんだろうなぁ」 カイミェルは行き先のことを考えて雑念を終わらせた。モスルートは灰土地域の東北部にある。 14
2016-09-23 19:31:38_巨大な北壁山脈に囲まれた雪の大地だ。山脈の上空には激しい気流が吹き荒れる。カイミェルは小さい食堂の窓に目をそらした。 闇に包まれつつある夕空が映っている。灰色の雲が猛スピードで流れていった。 沈黙。何か話さなければならない気がして視線を戻す。 15
2016-09-23 19:36:20_デキリィは蒸しキノコをはふはふとほおばっている。彼女は勤めてからいまだに大きな事件は経験していなかったが、カイミェルは一度大きな事件に巻き込まれたことがある。いや、彼が引き起こした事件といっていいだろう。秘密だったが。 そのときもこんな夜、モスルート行きの船だった。 16
2016-09-23 19:40:46「思い出すな……あの日と観測結果が似ているような……そんな気がする」 「あの日……というと?」 デキリィに話せば少し楽になる気がした。つい口を開いてから後悔した。秘密を共有した男女の仲は深まる……そんなことを本で読んだことを思い出す。 (うう……そんなつもりは) 17
2016-09-23 19:45:42「意味深なことを言って会話を止めないでくださいよ~気になるじゃないですか~」 「あの……いや……その」 いざ話そうとすると気恥ずかしい。過去の事件も、カイミェルの恋心が引き起こした事件だった。しかも、大事件になるところだった。 「忘れてくれ」 18
2016-09-23 19:49:56_そのとき、何かが軋んだ音がした。続けてガリガリと何かが絡まる音。 「なんだろう?」 「あ、逃げる気だ」 「機関制御室に行ってくる。ごめんデキリィ、また今度ね」 トレイを片付けると彼はデキリィを置いて制御の中枢へ歩き出した。 19
2016-09-23 19:57:25_機関制御室。 「第103エンジン異常圧! 停止しました!」 「他のエンジンは?」 「異常は見られません」 「何が起こった?」 カイミェルは近くの機関士に尋ねる。 「エンジンが一基止まったようです。航行に支障はありません」 「見てくる。手伝いを貸してくれ」 20
2016-09-23 20:03:24【用語解説】 【エンジンの異常圧】 エンジンとは疑似的な感情を発生させることで魔法を自律発動させる装置である。最も普及しているのは魔導モーターで、ただ単純に回転運動を制御する魔法を繰り返す。それが阻まれると疑似感情の圧が高まり、エンジンが癇癪を起した状態になる。それを異常圧と呼ぶ
2016-09-23 20:09:59