すり減った靴◆1
_『仕事が趣味です』と答えたことをギヌは後悔していた。結局お見合いは破談になってしまったわけだ。 (やっぱり堅物すぎると思われたのかなぁ、別に、別にさ、相手の男も大した人じゃなかったし!) そんなことを考える午前の仕事場。雑貨屋の店先で、ギヌは商品整理をしていた。 1
2016-10-23 19:35:29_陶器の皿をきれいに並べる。 「……よし」 陶器の壺や乾燥薬草の瓶を美しく並べる。 「……よしよし」 ギヌは肩を揉みながら、自分の仕事の成果を眺めてにやりと笑った。 (楽しい……実際仕事が趣味みたいなもんだもんなぁ) 仕事に没頭してもう8年が経とうとしていた。 2
2016-10-23 19:39:24_売り物の鏡を覗く。地味な女性の顔が見える。茶色く色あせた前髪を整えると、いくらかましになった。疲れの色はない。 (よし、この調子なら午後までバリバリ働けそう) ギヌの興味はこの雑貨屋の売り場で完全に完結していた。鏡から商品へと視線を戻し、仕事の続き。 3
2016-10-23 19:44:17(趣味って言ってもなぁ。絵を描いたり、詩を詠んだり……手芸? 陶芸? それともスポーツ……? いまから覚えるのもなぁ……) エプロンの埃を叩き、商品の上に積もった埃をはたきで綺麗にしていく。埃はあちこちから侵入し、あらゆるものを野暮ったくしてしまう。 4
2016-10-23 19:47:48(趣味……持った方がいいってよく聞くけど) 帝都の空を見上げる。春の霞みがかった空は、高層建築のビルディングに切り取られていた。小さな窓が並ぶオフィスや住宅。色あせた洗濯物。視線を下に移す。工場の排ガスに塗り固められたセラミックの壁面。煉瓦のようなタイル模様。 5
2016-10-23 19:54:57_その一番底に彼女の働く店。いつも同じ景色が彼女を迎える。 (いつもと同じ空) 行き交う人々も変わらない。通りを歩く人々は、スーツか労働服か私服かの違いしかない。結局中身は他人。興味も持てないし、ぬいぐるみの綿と何ら変わりもない。そう思っていた。ただ、今日は違った。 6
2016-10-23 20:00:14(む……またいつもと同じキャップだ) 野球帽を被った人の男が目の前を横切って去っていった。気にせず仕事を続ける。 (むむ……またいつもと同じジーンズだ) 先程の野球帽を被った男が再び店先を横切った。青々としたジーンズは昨日見たものと同じ。気にせず仕事を続けるギヌ。 7
2016-10-23 20:03:52(むむむっ、またいつもと同じシャツだ!) 派手な赤いシャツ。見間違えることもない。この野球帽を被った、赤シャツの、ジーンズ男。年はまだ若そうに思える。彼を見たのは今日だけではない。ほぼ毎日、ランダムな時間帯に、この店の前を同じ格好で横切るのだ。それが1ヶ月も続いている! 8
2016-10-23 20:07:31_一度だって着替えた姿を見ていない。 (気になる……もしかしてストーカーか魔法使いか……) 背筋がぞっとする。特に魔法使いは魔法によって市民に危害を加えることを法律で許されている。しかし実際には手あたり次第殺されるわけではない。 9
2016-10-23 20:11:19_いわば雑草を抜いても許されるが、わざわざ雑草を抜きたがる者はおらず、必要に応じて抜かれるのと同じだ。 ただギヌに対し興味は無いようだ。視線が合うことはなかった。 (気にしないでおこう) 「気になりますか」 男がこちらを見た。視線がとうとう、交わってしまったのだ。 10
2016-10-23 20:15:36【用語解説】 【高層建築】 旧帝国の時代より培われた建築技術は時代を経て色あせつつも、確かに継承された。鉄筋コンクリートはセラミックプレートによる保護と鉄筋素材の魔法練り込みにより、何百年と形を保ち、増築され、改造され、再び魔法を練り込まれ、セラミックプレートで塗り固められる
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