諏訪正樹『「こつ」と「スランプ」の研究』読書メモ集

諏訪正樹『「こつ」と「スランプ」の研究』(講談社、2016)の読書メモをまとめました。
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荒木優太 @arishima_takeo

「逆説的に聞こえるかもしれませんが、ことばをうまく使えば、身体の使い方も進化し、ことば(問題意識)も進化します」(諏訪正樹『「こつ」と「スランプ」の研究』)。面白い観点だと思いますけど、こういうときあんまり「進化」って言葉使わない方がいいと思いますよ。

2016-12-02 14:34:30
荒木優太 @arishima_takeo

「腑」とは身体のシステムです。そこに「落ちる」のですから、落ちる前は、身体のシステムではなく、ことばのシステムでわかろうとしていたのです。by諏訪正樹『「こつ」と「スランプ」の研究』

2016-12-02 15:39:29
荒木優太 @arishima_takeo

「身体知には個人固有性があるという主張は、身体知の学びは身体とことばの二重構造の上に成り立つという前節の言説とも相容れます。ことばが世界を分節化する仕方は個人に委ねられているからです」(こつスラ)。これ私的言語論問題とも通じ合うのではないか、興味深い。

2016-12-02 15:43:35
荒木優太 @arishima_takeo

「生態的心理学の分野では、着眼点のことを変数と呼びます。生態的心理学の祖であるジェームズ・J・ギブソンは、これまでに感知したことのない変数を環境に見出すことこそ学習であると説きました」(こつスラ)。へぇー。

2016-12-03 10:09:04
荒木優太 @arishima_takeo

従来の〈メタ認知〉は、身体が欠落した「頭メタ認知」と言えると思います。一方、〈からだメタ認知〉こそ、状況依存性や認知カップリングの思想に基づく、本来の意味での「メタ認知」そのものです。by諏訪正樹『「こつ」と「スランプ」の研究』

2016-12-03 10:34:15
荒木優太 @arishima_takeo

モニタリングということばには「環境」が含意されません。つまり、自らの身体と環境のあいだに成立しているモノゴトを観測するというニュアンスがないのです。by諏訪正樹『「こつ」と「スランプ」の研究』

2016-12-03 10:38:54
荒木優太 @arishima_takeo

諏訪正樹『「こつ」と「スランプ」の研究』読了。略して、こつスラ。でも内容的には副題の「身体知の認知科学」の方が適当か。あと、タイトルに入ってないけど、言語(言葉)が重要なポイント。スポーツなど、身体の使用を言語化することによって、フィードバック的に身体の使い方そのものが変化する。

2016-12-03 11:40:45
荒木優太 @arishima_takeo

言語がアーティキュレーション機能を持つから、それに引っ張られて身体を司る図式が変わる、って事なんだろうけど、よくよく考えるとなんでそんなことが生じるのか不思議(でも、実際あるようだからホントに不思議だ)。スポ根系「体が覚える」を文系的に理解する点で言語身体知の問題は、興味深い。

2016-12-03 11:46:04
荒木優太 @arishima_takeo

個人的には、ハイデガーが不思議がってた、カントのいう構想力(感性と悟性の媒介、図式を生むよ)って、現在の認知科学や身体知の問題と深く関わっているように見えるんだけど、どうなんだろうか。誰か何か書いてないのだろうか。

2016-12-03 11:47:22