佐々木俊尚氏、東浩紀氏、KAWANGO氏によるハッシュタグから発したネットの公共性に関する鼎談
- weekly_utaran
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まあねー、タカヒロさんのおっしゃる通りで、もう少しきちんと意見表明していかなければ。RT @noritakahiro: たぶん公共圏って言葉もみんなわかっとらんですよ。RT @sasakitoshinao: ネットで公共圏なんてあり得ない、炎上するだろtoiu
2010-03-24 12:18:56@sasakitoshinao TwitterのTLの仕組みはすぐれているんですが、ハッシュタグはこれから確実に2ちゃんねるみたいになりますよ。昨日、確信しました。
2010-03-24 12:25:21ハッシュタグだと情報圏域の細分化、パーソナライズが行われないからでは?場がひとつになると荒れやすい。RT @kawango: TwitterのTLの仕組みはすぐれているんですが、ハッシュタグはこれから確実に2ちゃんねるみたいになりますよ。昨日、確信しました。
2010-03-24 12:27:082ちゃんねるみたいというのが悪い意味でいっているわけではなく、いい意味でも悪い意味でも似てくる。違ったものを期待しているひとは裏切られるでしょう。
2010-03-24 12:28:03まさに。RT @sasakitoshinao ハッシュタグだと情報圏域の細分化、パーソナライズが行われないからでは?場がひとつになると荒れやすい。RT @kawango: TwitterのTLの仕組みはすぐれているんですが、ハッシュタグはこれから確実に2ちゃんねるみたいになりま
2010-03-24 12:29:50そう。ハッシュタグつくるのとスレッドたてるのと構造が同じなんですよね。違いは匿名か実名(ハンドル)なんだけど人数が増えると一緒。 RT @sasakitoshinao ハッシュタグだと情報圏域の細分化、パーソナライズが行われないからでは?場がひとつになると荒れやすい
2010-03-24 12:30:51ハッシュタグの問題は、ぼくも昨年末、QF出版騒動のとき実感した。#QF というタグを使っているかぎり粘着の荒しが酷かったが、タグを見ないと宣言したらぴたりと止まった。
2010-03-24 12:31:18問題は、発言について「場」が中心になるか、「人」が中心になるかだと思う。ハッシュタグが2ちゃんに近づいてしまうのは、「場」を作ってしまうから。日本人は「場を読む」(=空気を読む)のが大好きだが、そのかぎりで必ず炎上は怒る。大事なのは「空気を読めないアーキテクチャ」をどう作るか。
2010-03-24 12:32:29それによってある種の『空気』が醸成され、同調圧力が生まれるんじゃないかと思います。RT @kawango: そう。ハッシュタグつくるのとスレッドたてるのと構造が同じなんですよね。違いは匿名か実名(ハンドル)なんだけど人数が増えると一緒。
2010-03-24 12:33:39その点でTwitterはすぐれいている。原理的に空気が読めない。というか(TLが全員違うので)空気が成立しえない。この点についてはSIGHTや文學界でも書いたので、興味があればご覧ください。
2010-03-24 12:33:45とか書いていたら、同じ議論がされていたw ぼくもいま意見書きましたー>@sasakitoshinao @kawango
2010-03-24 12:34:29というわけで、ぼくはハッシュタグはあまり使わない。Twitterでの発言は、あくまでも発言者が勝手に、だれだかわからない匿名の読者に向かって空気を読まずに(読めずに)やっている、という原則でやるのがよいと思う。そして、じつはそれは、古典的な公共圏の定義と一部は合致している。
2010-03-24 12:36:29まったく同意です。RT @hazuma: 問題は、発言について「場」が中心になるか、「人」が中心になるかだと思う。ハッシュタグが2ちゃんに近づいてしまうのは、「場」を作ってしまうから。大事なのは「空気を読めないアーキテクチャ」をどう作るか。
2010-03-24 12:41:32人数増えたときの情報のやりとりをどういうトポロジーでやるべきかということだと思います。 RT @hazuma 問題は、発言について「場」が中心になるか、「人」が中心になるかだと思う。
2010-03-24 12:43:06マスメディアも本来は「空気が読めない規模のメディア」だったのに、業界内力学(テレビ屋はテレビしか見ていない的な)で記事・番組を作るようになってしまったからつまらなくなっているのだと思うのです。RT @sasakitoshinao まったく同意です。RT @hazuma: 問題は
2010-03-24 12:43:53技術によって最適なトポロジーが変わるのだと思うのです。ネット出現以前は「場を読む」情報処理の限界として必要があったけれど、いまだと違うかも。RT @kawango 人数増えたときの情報のやりとりをどういうトポロジーでやるべきかということだと思います。 RT @hazuma 問題
2010-03-24 12:46:14コンテキストをどこに、何に付随させるのかという問題と感じました。RT @hazuma: マスメディアも本来は「空気が読めない規模のメディア」だったのに、業界内力学(テレビ屋はテレビしか見ていない的な)で記事・番組を作るようになってしまったからつまらなくなっているのだと
2010-03-24 12:46:18@hazuma @sasakitoshinao twitterのTLとReplyの構造が革命的なのは情報のやりとりが、各人、すべて非対称になっていることだと思います。
2010-03-24 12:47:11完全に同意します。ぼくも同じ結論に達していました。じつはそれ、かなりぼくの本業の哲学と関係している話なのです。RT @kawango twitterのTLとReplyの構造が革命的なのは情報のやりとりが、各人、すべて非対称になっていることだと思います。
2010-03-24 12:48:31非対称であることと、公共性を持つことが両立しうるかどうか。RT @kawango: @hazuma @sasakitoshinao twitterのTLとReplyの構造が革命的なのは情報のやりとりが、各人、すべて非対称になっていることだと思います。
2010-03-24 12:49:16非現前的で、非同期的、非対称なコミュニケーションこそ基本で「面と向かいあって話す」を理想だと考えてはいけない、というのがジャック・デリダという哲学者の主張で、ぼくはそれで博士号取ったのですが、Twitterは実はかなりそれに近い。@kawango @sasakitoshinao
2010-03-24 12:50:52ハーバーマスならそれは無理だと言います。けれどデリダはそれは可能だ、というかもともと公共性はそういうものだと主張するはずです。これ、ぼくのような哲学徒にはじつに面白い問題なのです。RT @sasakitoshinao 非対称であることと、公共性を持つことが両立しうるかどうか。
2010-03-24 12:52:40そこからどう世論を形成するのか……はお書きになっていたデータベース民主主義へとつながっていくのでしょうね。RT @hazuma: ハーバーマスならそれは無理だと言います。けれどデリダはそれは可能だRT @sasakitoshinao 非対称と、公共性が両立しうるかどうか。
2010-03-24 12:57:15@hazuma @sasakitoshinao ニコ生のコメントは非対称性がテーマのひとつで、簡単なとこでは違う部屋だとコメントが別ですが、あと、個人ごとにコメントをランダムに間引いたり、個人属性ごとに表示コメントを変える仕組みがはいっています。
2010-03-24 12:58:51