強いて言うなら直接的に役に立てるとしたら調査期間中たらふく食べてたらふく飲むことかもしれないw ちなみに昨晩は冷麺、さっきはじゃじゃ麺を嗜みました!盛岡グルメ好きだー(^-^)/
2011-05-05 00:53:25今日は重茂港の視察、宮古市役所のヒアリング。高所移転は先進的でもなんでもなくて千年前にもあった、ってのは昭和津波のときの新聞記事でも読んでいた。発想はあって技術的にも可能、でも低地に住み続けた人が動くのかな、って改めて思った。重茂も漁協が山の上で古くから職住分離ぽい。
2011-05-05 23:19:13大船渡班の調査も、残すところあとわずか。今日は大船渡市長と面会。非常に明確な方針に賛同。明日は、「人に会う」という目標設定。岩手大学の南正昭先生と同じ班で本当によかった。一人のプロジフェッショナルとしての矜持に班員一同きわめて感銘をうける。ミーティング終了。
2011-05-06 00:04:27生業を生み出す何らかの支配律があるのではないか。浦サイズや後背地の広さは勿論重要だが、湾内を巡る循環道路と集落のバナキュラーな配置の誘因、そして何より気仙川と魚付き林からしみ出した淡水の巡りが生業の関係性を豊かなものにしてきたようにおもう。
2011-05-06 00:11:45現地に入って感じるのは、「スピード」の重要性。国の予算の使い方が分からないと、地方は詳細な復興プランを立てることができない。国はすべてを把握した上で判断するのではなく、本当にざっくりお金の配分だけ決めて、後は市町村レベルに任せた方がいい。
2011-05-06 00:34:40人の生死は震災後一週間以内、産業の生死はこの一ヶ月にかかっている。二次補正予算が六月末というのは、現地のスピード感からするとかなり遅い。
2011-05-06 00:36:40被害の大きかった地域と小さかった地域の違いは、自ら防災計画を立てているかどうか、それにあわせた土地の使い方をしているかどうかだったからです。(大船渡市に限っては) #chiikikiban
2011-05-07 00:12:16そこで学会なり市なりが主導でプランを立て実行したら、結局その地域は何も変わらない。結局安全については市/国がやってくれると思うから、災害時に主体的に動けない。堤防があるから大丈夫といってまた想定外の事象が起こったらアウト。 #chiikikiban
2011-05-07 00:17:27個人的には、総合的にみようとしすぎて、一番大事なところがプランとして目立っていない気がします。まーたった三日間しか現地調査はできなかったので、だいぶ偏った見方になってしまっているのかもしれませんが。 #chiikikibban
2011-05-07 00:19:47メモ:ミクロな視点の重要さ、歴史、土地利用図、道路地図、地名、歴史的建物、海が見える町づくり、墓地などを使った避難経路の刷り込み、津波のパワーを逃がす土地利用、復興プラン目安箱、開かれた資金調達システム、地方・地域主権、想定外への対応力、「漁業は儲かる、制度が貧しくしてる」
2011-05-07 00:31:43ようやく今日の調査およびMTG、およびその後の懇親会が終了。今日は深かった。本当に。すごい人と現場に立ち会っている気がする。
2011-05-07 02:33:31