アニメ「鋼の錬金術師(1期)」と「機動戦士ガンダム00」の錬成/「シャンバラ」と「劇場版00」を見返して(後編)

後編は、テレビ放映版「機動戦士ガンダム00」・「劇場版 00」を「劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者」とリンクさせながら語っていったものを纏めております。 昨今サブカルチャーの「ジャンク→キマイラ(キメラ)」化が顕在化するようになりましたが、「矛盾を孕みながらも」「時には戦いながら、生きる為に存在し続け」「相互理解の為に対話を行い続ける」意志を描いた「ハガレン(1期)」と「00」は、アニメの「ジャンク→キマイラ」化の一つの指標になると思います。
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fullhuro @FullHuRo

種・種死は「ジャンクとしてのガンダム」。「00」は「キマイラとしてのガンダム」。最近の文芸・芸術批評の流れは「ジャンク」より「キメラ・キマイラ」批評?

2011-06-20 20:24:48
fullhuro @FullHuRo

「劇ハガレン シャンバラ」を観た後で「劇00」再見。「もう何も怖くない、怖くはない」のところ観るたびに涙腺が弱くなるんですけどw 「シャンバラ」と比べると、CBも連邦も国連軍も一般庶民も「生きる為に闘う」と同時に、触れ合ったり対話することをとめどなく行ってる。(続く

2011-06-20 23:31:18
fullhuro @FullHuRo

「シャンバラ」において、アメストリスと西暦1923年の「なまじ知恵のある」ドイツの人々は相互理解が出来ず、争いが起きてしまった。門を開けたエルリック兄弟は自分たちが関わった「理想/生の暴走」と向き合う為、西暦のドイツに残ることになる。(続く

2011-06-20 23:46:21
fullhuro @FullHuRo

エルリック兄弟が西暦の世界で生き始めてから、約400年後。科学技術は大きな発展を遂げたが、エネルギーを巡る超大国の冷戦、そのひずみによる小国の紛争は絶えなかった。そんな中、「武力介入による戦争根絶」を掲げたソレスタル・ビーイングがガンダムと共に世界に現れた(続く

2011-06-20 23:57:46
fullhuro @FullHuRo

24世紀に生きるソレスタの人たちは、争いで大切な人を亡くし、傷つき、そんな世界に憎悪を抱く者たちだ。イオリアの理念と彼が生み出したオーバーテクノロジーによって世界の脅威となる力を行使するソレスタ。世界は圧倒的暴力の脅威で一つとなり、ソレスタは力の行使に戸惑いながら団結する(続く

2011-06-21 00:09:48
fullhuro @FullHuRo

世界の団結によって、次第に追いつめられるソレスタ。ソレスタ達は激戦の中で、「復讐の生」の変われなさを痛感することになる。ソレスタはそんな「復讐の生」による世界の団結に一度敗北する。「復讐の生」によって団結した世界。しかし、暴力を手放せない矛盾は解消されなかった。(続く

2011-06-21 00:24:28
fullhuro @FullHuRo

地球連邦樹立から5年後、暴力を孕んで統一された世界に介入することになる新生ソレスタ。新生ソレスタは亡くした仲間/奪った人々の生と向かい合いながら、同時に、彼らの争いで「世界と無関係ではいられなくなった」沙慈やマリナ、反連邦のカタロン達と関わりを深めてゆく(続く

2011-06-21 00:38:09
fullhuro @FullHuRo

新ソレスタとカタロン、刹那と沙慈ら、マクロとミクロのレベルで「生きる為に闘う」中、互いに歩み寄り始める。地球連邦の中でも暴力機械のアロウズの欺瞞(「復讐の生」による統治)は高まり、それを抑えつけようとアロウズは暴力による圧力を繰り返す。無情にも散る命、高まる憎悪(続く

2011-06-21 00:49:36
fullhuro @FullHuRo

刹那と沙慈が乗るダブルオーライザーは、戦果と同時に「対話」の力を発揮してゆく。暴力と対話、「交差(クロスロード)」することのない二者を有した、「等価交換」の原則と相反する力を持ったガンダム。「矛盾をはらんでもなお」「生きる為に闘う」者たちに真価を発揮するガンダム(続く

2011-06-21 01:03:52
fullhuro @FullHuRo

アロウズを統べるリボンズ(と彼に従ったサーシェス)は、「矛盾を孕むことを」恐れ、世界を「復讐の生」へと押し込めよとした者。新ソレスタ達の「矛盾を孕んでもなお」「生きる為に闘い」「対話を行い」「理解」する歩み寄りを促進させたダブルオーライザーに、リボンズの傲慢は「分解」される(続く

2011-06-21 01:20:41
fullhuro @FullHuRo

TV版「00」2期最終回の時点で、ダブルオーライザーによる「変革≒錬金術」は「理解」「分解」まで達した。「矛盾を孕んでもなお」「生きる為に闘い」「対話を行う」関係が世界的に「再構築」されるには、2年の歳月(準備期間)と「外宇宙」からの「ELS」との衝突を待つことになる(続く

2011-06-21 01:30:08
fullhuro @FullHuRo

長くなったが、「シャンバラ」で露呈した西暦世界(20世紀ドイツ)の「矛盾を孕んでもなお、互いを想い合って生き続けることの困難さ」が、同じ西暦を軸に置いた「00」で、4世紀を経た未来に「武力介入」によって、その困難が全人類問われた。(続く

2011-06-21 01:39:19
fullhuro @FullHuRo

壮絶な暴力を経て、「矛盾を孕んでもなお」「生きる為に闘い」「対話を行い」「互いに理解」しようと歩み寄り始めていく人々が大体的に描かれたのが「劇00」である。「シャンバラ」の人類のステップアップに約4世紀を費やすことになるとは(次で一端休止

2011-06-21 01:44:52
fullhuro @FullHuRo

説明無しに「ハガレン(一期)」と「00」を繋げて語っているが、「矛盾を孕んでもなお」「生き、闘い続けることの困難さ」を描いているのは2作で共通している。「無関係でいられない世界」で虚実と現実と共に生きる覚悟を提示した「シャンバラ」(もうちょい続く

2011-06-21 01:51:04
fullhuro @FullHuRo

そして、未来の西暦世界で「武力介入」によって「ハガレン(一期)」「シャンバラ」の困難さに向き合い、「矛盾を孕んでもなお」「生きる為に闘い」「対話を行う」という一つの答えを提示した「劇00」(「劇00」雑感詳細は明日に

2011-06-21 01:54:47
fullhuro @FullHuRo

昨日のPOSTを踏まえた「劇00」雑感。「シャンバラ」では一瞬の会合でしか描かれなかった、夫婦と恋人。「劇00」だと、イアン夫婦/コーラサワー夫婦/「沙慈・ルイス」「アレルヤ(ハレルヤ)・マリー(ソーマ)」「ビリー・ネーナ」の恋人たち、5組の愛し合うものたちが接触と対話を繰り返す

2011-06-21 10:06:22
fullhuro @FullHuRo

逆に、「シャンバラ」で濃厚に描かれた「兄弟/義兄弟」は、「劇00」では実体としてはすれ違った過去として描かれ、少数の人々の強い思いにしか存在しない。刹那とライルが想う「ニール・ディランディ」、フェルトにとっての「クリスティナ・シエラ」…

2011-06-21 10:18:01
fullhuro @FullHuRo

「シャンバラ」で描かれた騒動によって、「矛盾を抱えてもなお」「この世界と無関係でいられなくなった」エルリック「兄弟」の強い決意が、約四世紀と7年の「武力介入」を経て、「夫婦・恋人たち」「人類とELS」へと変化を伴って引き継がれている。

2011-06-21 10:28:06
fullhuro @FullHuRo

「シャンバラ」と「劇00」、2作共に人間の妊娠をあえて画として物語らないところに強い倫理観があるのではないかと思う。だからこそ、「シャンバラ」におけるノーラとアル・アルフォンスの「処女出産/流産」、刹那とELSの「宇宙の花」の変化に重みがある。

2011-06-21 10:39:13
fullhuro @FullHuRo

「シャンバラ」における西暦側のイノベーター:ノーラの、ジプシーという存在と「他人の心を読める能力」という表層。その表層を、人々が「なまじ知性のある」「ファシズムによる連帯」の解釈で、異物→敵だと見なし、分類→差別→迫害をインスタントかつ一方的にされてしまう

2011-06-21 10:55:29
fullhuro @FullHuRo

「シャンバラ」で描かれるソーセージが暗示するのは、「ドイツ国民」という「ファシズム」…つまり「世界の歪み」への皮肉だ。さりとて、ソーセージはインスタントで美味しい

2011-06-21 11:00:43
fullhuro @FullHuRo

「シャンバラ」のノーラは、ラストでは他者との関わりを予感させながらも、劇中ではシャンバラとドイツで暮らす人々と対話する術を持ち得なかった「弱い」存在だった。ノーラだけではなく、エド・アル、ドイツで暮らす人々もまた「弱い」存在だった

2011-06-21 11:10:04
fullhuro @FullHuRo

「00」はオーバーテクノロジーの圧倒的な存在:ガンダムによって、西暦に生きる「弱い」存在である人類が「世界と自分が無関係ではいられない」状態となり、「矛盾を孕みながらも」「時には戦いながら、生きる為に存在し続け」「相互理解の為に対話を行い続ける」決意が個々に芽生える物語だ

2011-06-21 11:21:12
fullhuro @FullHuRo

「シャンバラ」のノーラ、「劇00」の刹那、取り巻く状況が似ているようで、周りの人々の眼差しは全く違うし、刹那は長い戦いを経てダブルオークアンタという対話する手段がある

2011-06-21 11:32:38
fullhuro @FullHuRo

「シャンバラ」における、ヒューズに向けたグレイシアの「あの娘(ノーラ)は弱いのよ。守ってあげて」と、「劇00」におけるフェルトに向けたスメラギの「彼(刹那)を想ってあげて。(略)彼への想い無くさないでね」。似ているようで、より強く相手の理解の重みが増した言葉の変化

2011-06-21 11:40:52