3.11の地震・津波。福田なおみさんの呟き。
翌日の朝 どこから来たのかはわかりませんが かんぱんとミニエクレアが届きました 配分はどちらかを1つです 私は乾パンを1つ食べました 氷砂糖のみの人もいました 朝になると 町の様子がはっきり見え 津波の壮絶さが目の当たりになりました
2011-08-13 01:54:20その日の9時頃 おむすびが1人ずつ配られました 塩も何も味のついていないおむすびでしたが あんなに美味しいと感じたのは初めてで おむすびを食べて涙が出そうになったのも初めてでした 私たちは2〜3日は何も食べれないことを予想していたのでとても驚いたのを覚えています
2011-08-13 01:56:59その日おむすびはもう一度配られましたが 私は食料がなくなったときを気にしてそれを食べずにしまっておきました 父はその日から消防で生存者と遺体の捜索に行っていました 一日中いない父が不安でしょうがありませんでした
2011-08-13 02:00:24津波の情報が入るたび 父の身に何かあったらと思い ただ祈るばかりでした 避難者は一般の方はいつの間にか減り その日の晩は同級生の男の子が拾ってきた スーパー等で売っているタッパー入りの鰯を割り箸に刺して焚き火で焼いて
2011-08-13 02:06:45高校生数人で食べました コメリから劇物が流れだし側溝やマンホールの中から流れ出した汚水と一緒に流れた鰯でしたがあのときはそんなことは一切考えていませんでした 考えたとしても笑い飛ばしたでしょう 私は余った鰯を夜遅く帰ってくるだろう父のために1尾焼いて大事に持っていました
2011-08-13 02:09:07その日の夕飯だったカレーライスは ルーを人数分にするためギリギリまで水でかさましし ご飯も節約のためお粥風でした ちょうどそのとき 父も母もおらず 2人の分をもらえるかどうかわからなかったので 私の分の一皿をビニール袋に皿ごと入れ 2人が帰ってきてから
2011-08-13 02:12:03私は食べたことにし 2人に鰯と一緒に渡しました それまで何も口にしていなかった父が 食べてくれたことが嬉しくてたまらなかったのを覚えています
2011-08-13 02:13:25初めの一週間は あの津波を経験した人たちにとってとても壮絶なものだったと思います 流された町を歩けば場所を問わず遺体があり目にしない方が珍しい状態でした 私の 11日あたりの体験談はここまでにしようと思います
2011-08-13 02:16:50消防団のみなさん、自衛隊のみなさん、警察のみなさん、寄付を寄せてくださったみなさん、被災地を心配してくれたみなさん、募金箱に大切なお金をいれてくれたみなさん お元気にしていますか 私はあなたたちのおかげで今の命があります 毎日に笑顔があります
2011-08-13 02:21:26助けてくれて本当にありがとうございます 今度は一緒に生きてくれませんか 一緒に歩んでください あとたくさん笑ってください 私が頂いたみなさんの気持ちは 私にとても大切なものをくれました 絶望という言葉が相応しいような町に心に 希望をくれました
2011-08-13 02:23:48人の優しさを知り 当たり前のすごさを知り 人の繋がりを知ることができたのは みなさんがいたからです 私の立場からいうのは変かもしれませんが 生まれてきてくれて ありがとうございます 愛をくれてありがとうございます 体調は大丈夫ですか 友達や家族と喧嘩していませんか
2011-08-13 02:27:44悲しんでいませんか 苦しんでいませんか今度は私がみなさんに感謝を届けます 何があっても私はあなたの味方をやめません みなさんの存在が私を支えてくれたように私が支えられる存在になりたいんです 辛いときでも笑顔でいてください 泣いてないてその倍笑ってください そしたら私も一緒に笑いま
2011-08-13 02:36:54