萩原朔太郎とマンドリン、ギター、戦前の日本のマンドリン受容について
- snowystreet
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@snowystreet 唐突な質問なんですが、日本ではギターより早くマンドリンが入って来た、ということはありませんか?...
2010-05-06 20:20:05@reepicheep75 名前忘れましたがマンドリンの人で萩原朔太郎や藤田嗣治、里見とん(漢字が)といった人を弟子にもっていた、と聞いて。朔太郎が好きなのですがその娘のエッセイ読むと『影を慕いて』などをギターで演奏、とあり。最初はマンドリンだったのかなぁ、と。
2010-05-06 20:24:37マンドリンは1894年四竈訥治が…、というのもありますが、本格受容は比留間賢八が渡欧から1901年にマンドリンとギターを持ち帰って教室を開いてから、かな…RT @reepicheep75: //日本ではギターより早くマンドリンが入って来た、ということはありませんか?...
2010-05-07 01:00:23あっ、ギターを日本に初めて持ち込んだのは平岡煕のよう→クラシックギターの発祥は? プレリュード/ウェブリブログ http://bit.ly/d7Fjxs
2010-05-07 01:04:56"帰国してからは、神田錦町に居を構え、わが国にはじめてマンドリン及びギターの奏法を教えはじめ、門下生を募り、その普及に努めることとなった" →「比留間賢八の生涯」 http://bit.ly/co6Yhe
2010-05-07 01:09:55比留間賢八RT @reepicheep75: 名前忘れましたがマンドリンの人で萩原朔太郎や藤田嗣治、里見とん(漢字が)といった人を弟子にもっていた、と聞いて。朔太郎が好きなのですがその娘のエッセイ読むと『影を慕いて』などをギターで演奏、とあり。最初はマンドリンだったのかなぁ、と。
2010-05-07 01:12:43@snowystreet @reepicheep75 萩原朔太郎作曲の「機織る少女」、朔太郎音楽祭(という、マンドリンの音楽祭を前橋市が開催してくださってます)の全国マンドリン四重奏コンクールのページから楽譜ダウンロード可能。 http://bit.ly/cfn0xy
2010-05-07 01:23:04"続報:「機織る乙女〜A WEAVING GIRL」。これは本邦初の録音!"→ギターの時間-萩原朔太郎の「機織る少女」- http://bit.ly/dbe5ui
2010-05-07 01:26:08朔太郎はマンドリンもギターも弾けて(どちらも比留間賢八に習ったとされる)、前橋文学館には彼のギターの展示もあります。で、明治・大正の日本ではマンドリンは西洋音楽を普及させるのに最適な楽器として、またちょっと琴?にも似た響きが心情にマッチして大流行… @reepicheep75
2010-05-07 01:40:11「影を慕いて」は古賀政男が1929年ギター合奏用に元々書いて、その後、流行歌にする際に同年来日したセゴビアに影響を受けて歌と伴奏にギターにした、とのことRT @reepicheep75: //朔太郎が好きなのですがその娘のエッセイ読むと『影を慕いて』などをギターで演奏、とあり//
2010-05-07 01:44:17@snowystreet いろいろありがとうございます。"「影を慕いて」の前奏曲は父の得意中の得意で…指をギターに打ちつけるほど情熱的に感情をこめて弾いた(萩原葉子)"というのが気になって仕方なかったんですが、"前奏曲"ってとこがやっと理解できました!
2010-05-07 01:59:18ではウンチク述べちゃいます(^^ゞ。私の不正確な理解による誤情報もあるかもしれませんがすみません(もしそういうのがあったら閲覧者の方ご教示ください)。続…RT @reepicheep75: なるほど、先ずマンドリンの方が馴染み易かったんですね!
2010-05-07 12:35:30承前)まず、マンドリンもギターも門戸が広い楽器で演奏を覚えるのが比較的たやすく、また、フレットが刻んであることなどもありヴァイオリンなどと比して音程をとるのも容易です。楽器として比較的安価で量産も可能です。続 @reepicheep75
2010-05-07 12:38:59承前)さらにマンドリンは実はヴァイオリンと同じ4弦(ただしマンドリンは各弦が複弦になっていて計8本)で調弦も同じ、運指も同じなのです。それでマンドリンはヨーロッパでもヴァイオリンの代替楽器として使われていたりしていていたんですが、続 @reepicheep75
2010-05-07 12:44:15承前)マンドリンはメロディー楽器としてヴァイオリンの代わりに使える。明治期の日本においてマンドリンを日本に西洋音楽を定着させるためのただしヴァイオリンと比して手軽で安価な楽器として戦略的に広めていった(広めたいと考えた人達がいた)ところがあります。続 @reepicheep75
2010-05-07 12:47:27承前)たとえば、大正〜昭和初期にマンドリン・ギター音楽の発展に尽力した武井守成は華族で、宮内庁式部官、楽部長、式部頭。そういったいわゆる社会の上流層がマンドリン普及を引っ張り、慶應・同志社・早稲田等の大学でもマンドリンクラブが設立されていきました 続 @reepicheep75
2010-05-07 12:56:14承前)いっぽうで、現代のイチジクのような形のナポリ型マンドリンは19世紀末にイタリアのカラーチェ兄弟が改良し完成させたものです。そのラファエレ・カラーチェ(cf. http://bit.ly/bJctYU )が1924年に来日・全国で演奏活動をし、続 @reepicheep75
2010-05-07 13:07:49承前)ラファエレ・カラーチェが1924年に来日・演奏活動をした際の熱狂の一端として、先に述べた武井守成の文章 カラーチェ来日のこと http://bit.ly/bnJ8QQ (via 絃楽器のイグチ)続 @reepicheep75
2010-05-07 13:12:14承前)ラファエレ・カラーチェが活躍した19世紀末〜20世紀初頭はイタリアでのマンドリン音楽の最盛期で、イタリア国内で権威ある音楽家がマンドリン音楽にも携わり、大量に様々な曲が作曲され、オケや吹奏楽の曲がマンドリン用に編曲されたりなどしていました。続 @reepicheep75
2010-05-07 13:18:29承前)ちょうどその19世紀末〜20世紀初頭のイタリアでのマンドリン音楽の最盛期が日本の明治・大正・昭和初期に重なり、イタリアから優れたマンドリン音楽を直輸入したりもできたわけです。。続 @reepicheep75
2010-05-07 13:21:24承前)ちなみにイタリアでは第一次世界大戦の影響と第二次世界大戦の敗北による王政廃止やその後の混乱等で戦前の隆盛を誇ったマンドリン音楽は衰退してしまいました。ヨーロッパではドイツのツプフが今は盛んです。cf. http://bit.ly/9P8own 続 @reepicheep75
2010-05-07 13:27:08承前)いっぽう日本では第二次世界大戦の敗戦後もマンドリン音楽は生き延びて、戦前のイタリアマンドリン音楽の系譜をそのまま温存でき継続的に今なお演奏され続けています。世界で今、マンドリン人口(愛好者)が多いのは日本、ドイツ、あと韓国が最近はめざましい…続 @reepicheep75
2010-05-07 13:31:38承前)ということでマンドリンが戦前に持ち込まれ日本に定着したのは、手軽で容易・安価な楽器として西洋音楽の普及のために戦略的に広められた面や時代のタイミングもあった、といった要素もあると考えてます。琴などにも似た音色や軽みが日本人に好まれたのももちろん。 @reepicheep75
2010-05-07 13:37:42