2007年の自分のブログの文章。今よりずっと読みにくい拙い文章ながら、一生懸命、妥協もリップサービスもせず思ったことを書いていた。そしてこの頃既に、自分は「凡人道を非凡に究める」という意志があったことが分かった。 http://t.co/vRs91bCh
2011-10-05 00:03:41昔、noon75さんという人に、ブログにしか出来ないこととは何か・ブログが、いわゆる書籍や雑誌の劣化コピー以外に出来ることがあり得るのか、という問いをやっていたのを、この半年ぐらいふと思い出す。そういえば、自分はしばらく「blogでしか出来ないこと」を忘れていた気がする。
2011-10-05 00:05:21「blogに書くということ」の意義と目的を、再確認すべき時期にきているかもしれない。今をときめくアルファブロガー達の真似事をして、でもそれに徹することも出来ないまま、ちょっと吐くだけのためにblogをやって、自分は何を得るのだろうか。
2011-10-05 00:08:17いや、blogというのはwebsiteよりは、フロー的なところがあるから、ある程度は「死なない程度に記事をあげて動かしておかなければならない」のは確かだ。何か、問題提起したくなったときのために。でも、それだけを惰性で続けるなら、自分のblogをこれ以上続けても意味は薄い。
2011-10-05 00:09:49しかも、今の自分には、テキストを十分に練るだけの余裕が無い。独身時代のようにはもういかない。だとすると、「壮年期的な境遇のなかでblogを続ける」そのスタイルはどうすべきなのか・何を目標とすべきなのか、再度吟味しなければならない。
2011-10-05 00:11:19そもそも、一個人に過ぎない人間が、何かを情報発信するのにblogに期待する、などという考えがどこまで通じるのか。どこまで現実的なのか。wwwにはつながっている。けれども、じゃあ、だから何?という。せいぜい、炎上のための薪をくれてやるぐらいのことしか出来ないのではないか。
2011-10-05 00:19:07さりとて、10年以上ネットで書き込みを続けてきて、それが一種の衝動の開放にもなっていた人間が、おいそれとやめるわけにもいくまい。それはそれで心的ホメオスタシスに亀裂が出来る。問題は、やめるかどうかではなく、どう続けるかだ。周りに、いいお手本がいればいいけど。
2011-10-05 00:22:03歳を取った、なおかつブロガーにしか出来ないこと、に、少しだけシフトをさせてみよう。思春期の人間から「あいつは頭にカビが生えた」と言われるようなエントリを書こう。それも容赦なく、二十台置いてけぼりで。
2011-10-05 00:26:38