【戦国なりきり】明智ーず感謝企画 後半戦
……よし、話せるようになったぞ(笑)皆、前半のゆうさいぬにお付き合いありがとうの(*´∀`)♪素晴らしい絵巻を描いてくださった絵師、ついたち殿にも心からの感謝を!!あの絵巻が無かったら、儂、ただの頭のおかしい隠居だものΣ(笑) #明智ーず感謝企画
2011-10-26 17:55:19では、後半行きます。秀満殿のりくえすとは、『藤孝時代に戻ってみる』……あの頃の儂、ねえ……。かれこれ30年近く前の儂、どんなんだったか、いまいち覚えてないんだけどの。 #明智ーず感謝企画
2011-10-26 17:58:58とりあえず、やるだけやってみようかの(人*´∀`)幸い、筧殿の草餅、儂がもらった分がまだあるしの!……あ、その前に! #明智ーず感謝企画
2011-10-26 18:01:49今の記憶を持ったまま若返っても、ただ若づくりなだけの中身はいつもの隠居と変わらないからの、若返ってる間は、その年の頃の記憶しかないていでやらせてもらうからの!いきなり若い儂がここに来たら戸惑うと思うので、直筆の覚え書きを置いていくからの~(。_。)φ #明智ーず感謝企画
2011-10-26 18:05:26ちなみに絵巻を描いてくださったのは、明智家の絵師殿だの。絵師殿、儂にまでありがとうの(´;ω;`)!では、草餅、頂きます(*´H`)mgmg ……しかし、よく覚えてないけど、あの頃の儂って……なんか、あれだった気がするんだよの…… #明智ーず感謝企画
2011-10-26 18:07:56…………今晩は。少々、事態の把握が出来ていないのですが。ええ、私としてはあるまじきことです。しかし、ここに残された覚え書きに寄りますと、とにかく文末にこれを付けろとのこと。 #明智ーず感謝企画
2011-10-26 19:42:04!? RT @yuusai1534: …………今晩は。少々、事態の把握が出来ていないのですが。ええ、私としてはあるまじきことです。しかし、ここに残された覚え書きに寄りますと、とにかく文末にこれを付けろとのこと。 #明智ーず感謝企画
2011-10-26 19:46:46@firedragon006 今晩は、初めてお目にかかります。私は細川藤孝と申す者。……400年後、ですか?……確かに、私の知っている日ノ本とはだいぶ様変わりしている様子。今は筆と紙でなく、この小さなからくりで文のやり取りが出来るのですね。
2011-10-26 19:56:43@akc_hide3 ……やあ、弥平次じゃないか。久しぶりだね。あ――、いや、今は秀満殿、か。すまない、明智家筆頭家老に気安い言葉を掛けては、光秀に叱られてしまうかな……(にっこり) #明智ーず感謝企画
2011-10-26 19:53:43@akc_hide3 秀満…殿、…何だか、何十年も会わなかったような口ぶりだね。どうしたんだい? 執務が忙しくて疲れているのではないのか。そなたも、そなたの主君も、多忙が過ぎるから……。
2011-10-26 20:06:31ええとですね、この覚え書きに『細川藤孝って誰よ?って人の為に簡単に自己紹介しとくんだの(*´∀`)♪』とありますので、僭越ながらさせて頂きますね……。……しかし、何ですか、この覚え書きは。ずいぶん頭の軽そうな文章ですが、どなたが書き記したのですか。 #明智ーず感謝企画
2011-10-26 20:17:25では、簡単に自己紹介致しますね。私こと、細川藤孝は、天文3年(1534年) 三淵晴員の次男とし て生まれました。幼名を萬吉(まんきち)と申します。しかし、私の出自に関しては12代将軍・足利義晴様の落胤だという説もありまして……いえ、そんな恐れ多い話はないとは思いますけれどもね?
2011-10-26 20:40:05その後、七つの時に幕臣細川元常の養子になります。そして13代将軍の義藤様、のちの義輝様ですね。義藤様と共に元服し、将軍の藤の一字を拝領して与 一郎藤孝と改めます。義藤様11才、私は13才でした。 そのまま義藤様に仕え、21の時に養父の死により、私は家督を継ぎました。
2011-10-26 20:56:46しかし義輝様は、永禄八年(1565年)、松永久秀殿に暗殺されてしまいます。塚原卜伝、上泉信綱直伝の名手だった義輝様は襲い掛かる敵に、何本もの刀を取り換えて奮戦するも、遂に力つき、「五月の雨は露の涙の時鳥(ほととぎす)わが名を上げよ雲の上まで」と辞世 を残して散り果てるのです。
2011-10-26 21:08:30三十二才だった私はたまたま休暇を貰って自分の城に帰っており、その知らせは正に青天の霹靂。僅かな部下をすぐ引っ下げて、京に駆け上がりましたが、時既に遅し。義輝様は非業の死を遂げておりました。そこで私は幽閉された義輝様の弟君を救出しに向かい、その御身を救い出すことに成功したのです。
2011-10-26 21:17:00そこから先は、還俗した義昭様とひたすら流浪の旅です。京を下り、近江甲賀郡の和田伊賀守惟政の城から、琵琶湖 のほとり矢島の里へ。しかし味方の裏切りにあい、妹の嫁している武田義統殿の元へ、さらにその叔母上の嫁している朝倉家の誘いを受け、越前國一乗谷安養寺に宿舎をかまえました。
2011-10-26 21:24:51そこでお会いしたのが明智光秀、その人でありまして。かの人の助けがなければ、私も義昭様もおそらく田舎で埋もれる不遇の一生を送ったといっても過言ではないでしょう。光秀の下工作によって、私達は大殿、織田信長様と政寺での面会となり、兎に角何はともあれ義昭様は京に帰り将軍となったのです。
2011-10-26 21:31:42