ゼーガペイン#03「デフテラ領域」まとめ

BS11デジタルで毎週土曜23時に放送中の「ゼーガペイン」。 #03の実況を含むまとめです。終盤のネタバレにご注意ください。 ←#02「セレブラム」 http://togetter.com/li/22912 →#04「上海サーバー」 http://togetter.com/li/22924 続きを読む
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ひろくん @tamtam_rev3

キョウの外形はどの「キョウ」の意思があっても変わらないが、「キョウ」は何度でも死ぬ。身体だけが否応なく残る。これこそが「キャラクターは死ねない」ということで、そこを露骨にキョウと「キョウ」が引受させられている。

2010-04-26 22:54:53
ひろくん @tamtam_rev3

あーと、「キョウ」はオケアノスのクルー全員の代表としてとかそういう感じで。「キョウ」とていつかは帰ってこなくなる、というのは一歩『ゼーガペイン』が踏み込んだところで、キャラクターが帰ってこなくなるのは「カミナギ」にあったようにキャラクターが個を喪失したとき。

2010-04-26 23:01:50
ひろくん @tamtam_rev3

身体と「」はそれぞれ外見と内面と言い換えよう。

2010-04-26 23:02:56
ひろくん @tamtam_rev3

外見と内面はキャラクターとして絶対になくてはならないが、内面は交換可能。それがキャラクター。「キャラクターの死」とは交換可能性の死、外見=身体の喪失。しかし外見のないキャラクターはキャラクターではない。だから『ゼーガペイン』でもそれは描けない。

2010-04-26 23:05:25
@tamtam_rev3

だから交換可能性を殺して終わる。一度限りの死の可能性をキャラクターに与えて終わる。

2010-04-26 23:06:17
@tamtam_rev3

一度限りの死だけが私たち人間に与えられている。死の瞬間、「私」を演じる私の基盤になっていた身体が失われる。『ゼーガペイン』の物語は一度限りの死に向けて走る。死を肯定する。

2010-04-26 23:11:08
@tamtam_rev3

カミナギやキョウ、イェル・シズノの死を語れるのは、僕がかれらにたいして神の立場にいるからだ。この作品に向き合うことが、すなわち僕と死の関係について光を当てることにつながるのかもしれない。

2010-04-26 23:37:17
@tamtam_rev3

「キャラクターの死」の描けなさに直面しながらもがき苦しんだ『ゼーガペイン』を、「ゼロ年代」「SFアニメ」の金字塔と呼ばずして、なんだというんだ?この作品が残したものはあまりに大きい。

2010-04-26 23:50:08