@lunaaaaa395 いや、本に「この規約を認めることにする。これは自然な約束であろう。」みたいなことが書いてあるんやけど、全然当たり前に思えなくて、しかもこれを認めることによるパラドックスを知ってるから尚更認め難くてどうにかならんのかと考えてるねん…
2012-04-29 15:09:07@slip001 いや選択公理ではないんだけど、 「qが無条件に正しいとき、pの真偽にかかわらずp⇒qは正しい」とかいうやつ 一日経ったら当たり前のような気もしてたけどやっぱり腑に落ちんなぁ… 選択公理は今のところ当たり前にしか思えない
2012-04-30 07:26:15@t_uda どんなに無関係に思えるp,qでも、qが正しければp⇒qが成り立つ 例えば「明日が晴れならフェルマーの最終定理は正しい」とかです
2012-04-30 09:14:37@sakanafsku 「明日が晴れである」という仮定が明日にならないと真偽が分からないのに、にもかかわらずその命題が常に真であるのがパラドキシカルってこと?
2012-04-30 09:28:20いい加減 #仮定が偽の命題は真 っていうハッシュタグできてもいいくらい頻出の話題だけど、ロジックをやったことのない人にはそれくらい直[感観]に反してるということでもあるなぁ、と再認識。
2012-04-30 09:31:03@t_uda @sakanafsku 割り込みすみません。たぶんさかなくんが気になっているのは「明日が晴れかどうかが今日わからない」という点ではなくて、明日の天気(p)とフェルマーの定理(q)の正しさはなんら関係ないのに、規約に従うとp⇒qという関係が成り立ってしまうという点では
2012-04-30 09:33:25@t_uda 授業ではダメットの法則(φならばψ またはψならばφ が成り立つ)が古典論理の強い仮定から導かれる、無関係の2つが結び付いてる不思議な結論として紹介されてた
2012-04-30 09:34:26一番単純なケプラー問題の方程式の導出でも(手間取|戸惑)って1分くらい悩んでしまった。ばんゆうーいんりょくのほーそくつかうだけなんやけど。物理力の圧倒的衰えを感じる。
2012-04-30 09:35:10@t_uda というよりも、晴れであることとフェルマーの最終定理は無関係なのに命題が真になることが僕にはパラドキシカルに思えるのです。命題そのものが真であることは当たり前と言えば当たり前にも思えるんですが…
2012-04-30 09:36:09たとえばFregeは"If the sun is shining, then 3×7=21"という文について言及している。 #仮定が偽の命題は真
2012-04-30 09:37:43日が照っているかどうかということと3×7=21ということとはなんら関係をもたない2つの事態であるが、規約によれば先ほどの条件法は全体として真になってしまう。 #仮定が偽の命題は真
2012-04-30 09:39:52@noukoknows @t_uda その通りです。あと「qが無条件に正しければpの正否にかかわらずp⇒qは正しい」から導かれる「pが正しくないならばqの正否にかかわらずp⇒qは正しい」も腑に落ちません。「フェルマーの最終定理が成り立たないならば明日は晴れ」の方が納得行きません。
2012-04-30 09:40:08#仮定が偽の命題は真 というのは誤解を招く表現で、ロジックではそういう仮定を扱うというだけであり、なぜそうなるかというと真理関数的に扱うにはそうするのが一番よいから、というだけだという認識。
2012-04-30 09:41:02@noukoknows @sakanafsku なるほど。じゃあ「明日は晴れる または 2は偶数である」も直観に反しますか。
2012-04-30 09:42:07