- southmtmonk
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70年ごろの富山の神通川カドミウム公害事件で「三井金属呪殺僧侶団」を称する僧たちが河原で祈祷したという情報を神楽や信仰文化を研究しているI先生からもらいました。写真もあるそうです。さすが70年代。
2012-06-02 10:34:32「たしか毎日新聞社の一億人の昭和史に載っていたと思います。」という追加情報をもらいました。僕は未確認ですが。RT @southmtmonk: 「公害企業主呪殺祈祷僧団」と名乗る僧侶のグループが存在したようですね。
2012-06-04 15:04:06@micagra ネットにも情報がいくらかころがってますが、出所は学研のムック本みたいですねぇ。これに写真が載っているという話も(未確認)→ http://t.co/to7ophsU
2012-06-04 15:06:22東寺真言宗の松下隆洪宗議会議長とか。 QT @southmtmonk 「公害企業主呪殺祈祷僧団」と名乗る僧侶のグループが存在したようですね。
2012-06-04 15:02:09おおっ、ありましたか。RT @southmtmonk: 「公害企業主呪殺祈祷僧団」の写真あった。のぼりには「呪殺」の文字。 http://t.co/nT2s1lcK
2012-06-04 15:23:08@southmtmonk 学研のエソテリカシリーズ「密教の本」にも、少しだけ載ってました。1970年の話だそうです。 http://t.co/cZEvsSXZ
2012-06-04 15:32:31@southmtmonk 特殊密教という章で、是非はともかく呪殺の祈祷は昔から行われたきたことの一例として紹介されていました。
2012-06-04 15:42:53『終末期の密教』(稲垣足穂、梅原正紀)という本に「公害企業主呪殺祈祷僧団」の活動を取材した「虐殺の文明を呪殺せよ〜公害企業主呪殺祈祷僧団行脚記」という文章が収録されているようだ。
2012-06-04 15:31:55五日後、『終末期の密教』が届きました。
「公害企業主呪殺祈祷僧団」の活動記録を読むために買った『終末期の密教』(梅原正紀、稲垣足穂)だが、巻末の松澤宥、笠井叡、前田常作の対談もなかなか面白くて。
2012-06-09 21:44:53「公害企業主呪殺祈祷僧団」は1970年結成。メンバーは8人で、そのうち僧侶としてライセンスをもつものが4名。日蓮宗と真言宗の仏教者によって構成され、呪殺の法は主として真言宗の儀軌によって行い、行脚中は日蓮宗方式で唱題行進を行ったという。
2012-06-09 21:53:31「右手に利剣を持ち左手に縄を持った不動尊像は、いうなればゲバ・スタイルである。その風貌・体躯、いでたちから思い浮かんでくるのは、インドに侵入したアーリア人を迎え撃つ先住民の戦士の姿である」(『終末期の密教』「虐殺の文明を呪殺せよ」)
2012-06-09 21:56:43「苦悩に耐えしかも柔和な容貌を失わないという仏教者を理想像として説くものに対し、不動明王は存在自体で「否」と答えている」
2012-06-09 21:59:17「憤怒の形相は悟りの姿からほど遠い。ゲバ・スタイルは安直に悟ることを拒否した姿である衆生を利益することを第一義としてぶざまな姿をひと目にさらしつつ、苦悩の根源に派を突き刺そうと激怒している不動明王はあるべき仏教者の極北の姿を示しているといえないだろうか」
2012-06-09 22:00:03「公害企業主呪殺祈祷僧団」の最初の行脚先は四日市。服装は黒の衣に饅頭笠、手甲、脚絆という雲水のいでたち。幟には黒地に白で大きく「呪殺」と染め抜かれた文字がくっきりと浮かぶ。そして彼らは当時「公害通り」と呼ばれた塩浜街道沿いから第一コンビナート地帯を行進したという。
2012-06-09 22:11:36「呪殺僧団」が四日市に入って三日目。鈴鹿川の河原で本格的な呪殺祈祷が行われたらしい。導師は東寺真言宗の松下隆洪師。東寺派の「東」の文字が「闘」でないことが残念でたまらぬとよくつぶやいていたらしい。
2012-06-09 22:16:15松下師の表白に続き、日蓮宗側を代表して松山照雄師が呪祷文を読み上げる。その後撃鼓唱題。観音経の読経(観音経は真言宗でも日蓮宗でも日常的に唱える)。「観音経には被抑圧大衆の怨念がもうもうとたちこめ、これにこたえる観世音菩薩の慈悲が描かれている」
2012-06-09 22:20:54