- jonathanohn
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儒教国である中国にはホモがいない男色は禁忌というのが何故か信じられているが、そういうことでもなく古代儒教も推奨はしとらんが容認しとったりする。戦国期には虞という国に男色の王がいて、敵国晋より美少年数十人を送られ、堕落し滅びたという「傾国の美少年」な話があったりする(笑)
2012-07-25 05:23:45漢代なんて、皇帝の中にも男色趣味がある帝があたりまえのように存在し、「後庭」という男色の隠語まであった。文帝には鄧通、恵帝には闔ジュ、恵帝には周人、昭帝には金賞、武帝には韓嫣という漢書『佞幸伝』で「ああ、こりゃ愛人ですわ・・・」としか思えない寵臣どもが登場する。
2012-07-25 05:30:06武帝と韓嫣なんて「主上とともに書を習って睦み合い」とド直球な事書かれてますし、普通にヤッてます。これが道教の流布とともにさらに性風俗が放埒になっていった後漢魏晋南北朝期なんて、もう・・・。ああ他にも哀帝の故事から男色を「断袖之歓」と呼ぶようになったりもしとるな。
2012-07-25 05:34:36だよねえ、いったい「儒教国である中国にホモはおらん」って妙な偏見ってなんなのやろ??? RT @seibihei: @Jiraygyo 「余桃の罪」とか「断袖」とか、むしろ本場ですよねぇ
2012-07-25 05:35:23アホらしいよね。儒教や道教の倫理だって、きちんと中国の歴史を刻んでいった「倫理」なのにねー。 RT @seibihei: @Jiraygyo ひょっとしたら、西欧キリスト教世界と対抗するために作り出したファンタジー。「東洋にも倫理的な世界がある」と
2012-07-25 05:41:01魏晋の頃に流行した「媚薬?」にセン草というものがある。炎帝の娘瑶姫が死後姿を変えた草で、黄色い花が咲き小豆ほどの実がなるそうな。この実を服用すると男にモテモテになると信じられていたという。媚薬というより恋のおまじないに近いかもしれぬ。
2012-07-25 05:46:12せやろうねえ、困ったお話で今も根強いですよな RT @seibihei: @Jiraygyo 今はそう言えますが、ヨーロッパ価値観最強だった時代には、「儒教はキリスト教倫理に近いもので、中国史もそれにのっとっていた」という見方が求められていたのかも
2012-07-25 05:50:32@Jiraygyo 元々はどこにあるのかは分かりませんが。例えば、宣教師は自分たちが担当している地域について、「キリスト教を知らないけれど、似たような倫理を持っています。布教は簡単です。だから金送れ」と報告してたでしょうし。
2012-07-25 05:54:46@Jiraygyo 逆方向で、「うちらの倫理はキリスト教と同じです。改宗している人も多いです。だから武器くれ支援しろ」みたいな勢力も多かったろうし(過去形じゃないって?)
2012-07-25 05:59:05『漢書』の「佞幸伝」は、漢の歴代皇帝のホモ話だらけです、はい。鄧通なんて、文帝が「夢で彼を見て」出会い、文帝が足繁く彼の家に通い、鄧通は他人と交際せず身を謹んで、文帝が癰を患ったときはイヤな顔ひとつせず膿を吸ってあげたという。なに、この一途な愛・・・
2012-07-25 06:00:43腐的妄想というわけでなく、こういう漢の皇帝たちの行状を見ると、まあ男色もまた貴顕の嗜みとして普通に存在していたのはほぼ確実。史書に『起臥を共にし』とあるのは、もう普通にそういう関係であったと確定しても良いんじゃないでしょうかね。漢の末裔のあの人なんか、むしろ誇っていたかもしれん
2012-07-25 06:04:45武帝の韓嫣なんかも武帝が太子になる以前からの愛人で、騎射の達者で頭もよく兵法にも優れで匈奴の対策について相談を受けていたそうな。太后に恨まれ自殺させられるけど、最後まで武帝は庇っていたというから、本当に好きだったんやろうねえ。
2012-07-25 06:08:12『漢書』の「佞幸伝」には困ったことに、そういう「漢の歴代皇帝ホモ話」の流れで、唐突に「衛青と霍去病を武帝に寵愛されたが、彼らは実力で出世したのである」と挙げられているが。当時、彼らもまた「韓嫣のように尻で出世したんやろ?」という偏見が根強かったと思われる。
2012-07-25 06:11:11逆に言うと「衛青と霍去病は実力と功績に相応しい出世と寵愛である」という裏には、「最初は韓嫣のようにホモ武帝にかわいがられていたんだぜ」という含みがあるのかもしれん。
2012-07-25 06:13:30武帝の嗜好から言ってほぼ間違いないと思う。騎射に優れ、匈奴にも詳しかった韓嫣の面影重ねていたろ、絶対(笑) RT @seibihei: @Jiraygyo 霍去病は疑われても仕方ないかも…
2012-07-25 06:17:42まあ、ホモだったからと貶めるわけではなく、むしろ、中国史も少なくとも漢代魏晋あたりは、日本の戦国時代と同じように大らかに男色を享受していたのだろう、というお話。逆に三国志の君臣関係とか、かなり曖昧な人多いので変に『忠義』とするより色恋のが自然じゃね? って人たちも多いしの。
2012-07-25 06:20:32だってー、後漢末期の群雄たちの関係って、みんな「基本的に漢の臣」という名目なので上司と部下という形式にはなっているだけで、『忠義』とか言ってしまうと途端に『嘘クセー』ってなってしまう関係である。そういうのを発揮される関係じゃない人たちのが多い。
2012-07-25 06:22:44逆に曹操と夏侯惇夏侯淵、曹仁、曹洪あたりや劉備と関羽張飛あたりはもう長年の付き合いとして数十年単位なので、『忠義』らしいものが発生するのは自然。
2012-07-25 06:23:52そういう方向に潔癖になったのはいつやろねえ? 男女の恋愛や一夫一婦制度の定着にもあるかもなー RT @seibihei: @Jiraygyo 同性愛がおかしいと思われるようになったのは、やはりキリスト教が来てからでしょうかね?きっかけとなるような事件があれば分かりやすいのですが
2012-07-25 06:24:53@jonathanohn 禁忌とされたタイミングはわかりませんが、人民共和国建国後のような……。(ちなみに清代だと、福建ではかなり横行していたとのこと。あと、こちらは俗説ですが乾隆帝と和珅がアーッだったという話も有名ですよね)
2012-07-25 09:18:24こんなん見つけますた。一部清代的福建同志小说《闽都别记》http://t.co/37RymJ7B 福州が舞台で、時代背景は明代中後期から清代乾隆嘉慶年鑑ごろまでと思しき同性愛小説なんだそうです。 @jonathanohn
2012-07-25 13:30:43@jonathanohn 共産党政権のときはだめだったな。映画インペリアルパレスは実際にあった東単公園における同性愛弾圧事件がモデル。同性愛は当時はハレンチ罪で取り締まり対象。この映画がされる1998年の一年前まで、違法行為として暴力的取締が行われていたと聞いているよ。
2012-07-25 13:06:07@jonathanohn ちなみにインペリアルパレスという映画は中国でずっと上映禁止。いまはdvdは売っているかな。
2012-07-25 13:12:15@jonathanohn @kaokaokaokao @dongyingwenren あまり詳しくなくてすいません。20世紀以降の同性愛の病理化は世界的な現象であり、中国と言うよりも世界的な潮流だったり、あるいは旧ソ連との比較で考えるのではないでしょうか。
2012-07-25 23:28:25