イザヤ・ベンダサンbotまとめ/【「私の責任=責任解除」論③】/夏目漱石が見出した狸の論理「私の責任=責任解除」/~日本教における「懺悔→告解」としての”ゴメンナサイ”~
- yamamoto7hei
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1】前略~狸校長も赤シャツ教頭も、共に、…「慙愧の念に堪えん」「謝罪しなければならん」と、いわば「明治語」で「ゴメンナサイ、私の責任です」という事によって、当然の事として、責任が解除されている、という態度を(少しの疑念も差し挟まずに)取っている事です。<『日本教について』
2012-10-09 04:58:342】…漱石の卓見はこれを「私の責任・イコール・責任解除」と把えたことでした(誤解なきよう「責仕回避」ではありません)。
2012-10-09 05:58:353】…天才とは元来、凡俗には全く無関係としか思えない二つの言葉を結びつけて新しい世界を開き、あるいは新しい理解の道を開くものなら、「私の責任」という言葉と「責任解除」という言葉を結びつけ得た漱石は、まさに天才の名に価いしましょう。
2012-10-09 06:58:334】紅毛三四郎ことエリセフ教授は「漱石を読み切れば日本人がわかる」と言ったといわれますが、私もそう思います。
2012-10-09 07:58:345】…「私の責任=責任解除」は責任回避の意味ではないと書きましたが、この点、ややわき道にそれますが、少し説明を加えるべきかと思います。
2012-10-09 08:58:496】日本人の責任回避は、いわば「ほおかぶり」で、徹底的に応答を拒否するという形になりますが、表現の仕方が違っても、責任回避が応答の拒否であるという点では、どの民族もほぼ同じといえましょう。
2012-10-09 09:58:527】「ゴメンナサイ=私の責任です=責任解除」はもちろんこれとは別で、私はこれを日本教=人間教における一種の「懺悔→告解」と解しております。いわば「相互懺悔⇔相互告解」ともいうべきもので、(続
2012-10-09 10:58:488】続>お互いに「私か悪かった」「いや私が悪かった」「ゴメンナサイ」「いや私の方こそゴメンナサイ」という形で、ちょうど「私は罪をおかしました…」に始まるカトリック教徒の懺悔を「人間相互」に行なうという形になり、それにより「和解」が成立する、といえると思います。
2012-10-09 11:58:529】それゆえ「私の責任=責任の解除」が成立するわけです。『諸君!』に一例として記載した「子供がゴメンナサイといわないことを叱る」のも、一種の「相互懺悔の宗教教育」といえましょう。これは日本教の「罪」もしくは「罪の意識」にも関係する非常に面白い問題です。
2012-10-09 12:58:4810】【狸の論理】以上のことを念頭において、もう一度「朝日新聞」にもどりましょう。これを書いた記者は、これらの事件が起ったときはおそらく幼少で何も知らなかったでしょう。従って当時は「責任=応答の義務」はなかったはずです。
2012-10-09 13:58:5011】しかしもし彼に、当時このことを知っていたらどうしたかと問えば、「同じ記事を書いて告発した」と答えるに違いありません。何十年か後に、なお正しいことと信じてやっているなら、その当時も当然に正しいこととしてやっていたはずです。
2012-10-09 14:58:4712】そして彼自身はもちろん下手人でも責任者でもないが、この事件を日本人全体の責任として記事を書いているなら、彼がこの責任を全うする唯一の方法は、日本人の義にかなう法に基づいて、その下手人と責任者を告発して法廷に立たせること以外になかったはずで、(続
2012-10-09 15:58:4913】続>それによってはじめて彼の責任は果たされ、その責任が果たされることによって日本人の義も法も名誉も守られたのではないかと問えば、おそらく彼は、その通りだというでしょう。
2012-10-09 16:58:4914】そこでもし【それならきこう。貴方は今それを知った。確実に知った筈だ、知ったからこそ書いている。そしてこれは日本人の責任だと明言している。日本人の責任とは何なのか。
2012-10-09 17:58:4915】それは、日本人の義に基づく法を制定させ、これら事件の下手人と責任者を法廷に立たせてのみ、これを書いた貴方の責任が果たせるのではないのか。知らないのならよい。しかし貴方は下手人の名も責任者の名も知っている筈だ。今、知らなくとも、知ろうとすれば知ることは出来る筈だ。
2012-10-09 18:58:4916】なぜそれをしない。なぜその名を公表しない。それをしないなら、あなたは犯人隠匿者として、下手人および責任者の共犯といわれ、一味といわれても抗弁の余地はないはずだ。それだけではない。
2012-10-09 19:58:5017】前にものべたように、それをしないならば、日本人は今後とも虐殺事件等の下手人および責任者の名は一切公表せず、従ってその責任を、日本人自らが追及することは絶対しないと宣言しているに等しいことではないのか。
2012-10-09 20:58:4918】ではあなたは一体何をしているのか、もう一度『一億総ざんげ』を、すなわち『対中国一億総ざんげ』をしろと全日本人にいっているのか。一体『一億総ざんげ』を批判したのはあなた方ではないのか。それともこれは『狸の論理』なのか――
2012-10-09 21:58:5119】その事実を記し、それを日本人の責任だと言ったことによって、そういった者の責任およびそれを掲載した者の責任は免除され、またそれを読んでこの事実を知リ、我々の責任だといった者は、その瞬間に責任が免除される。
2012-10-09 22:58:4820】だが、我々の責任だと認めない者、いわば『ゴメンナサイ』と言わない者は徹底的に追及される、という――。これは確かに日本教の世界では正しい。しかし日本教の外の世界では通用しない。
2012-10-09 23:58:5121】この外の世界では、日本人の責任だというなら、責任をもって追及すべき相手は『ゴメンナサイ』といわなかった者でなく、この「行為」の下手人と責任者なのだ。
2012-10-10 00:58:3322】それをしないで、『ゴメンナサイ』といわない者を追及しても、それで『日本人は責任を果たした』と考えるのは日本だけだということを、あなたは一体知っているのか知らないのか?
2012-10-10 01:58:3523】第一、不良品を売ったメーカーの名を通産省が発表しないのが悪いと批判しているあなた方でないか、それなら虐殺事件の下手人と責任者の名を発表しないのは、もっと悪いことではないのか」と問えば、彼は何と答えるでしょう。
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