【朝日新聞の「ゴメンナサイ」③】日本と西欧では倫理の「基準」が違う/~日本人が幼少時より”尻から叩き込まれている”「私の責任=責任解除」という日本教の教義~

イザヤ・ベンダサン『日本教について~あるユダヤ人への手紙~』/朝日新聞の「ゴメンナサイ」/私の責任=責任解除/151頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①従って、子供が物心がつきますとすぐ、「私の責任=責任解除」という教育が、殆ど無意識のうちに徹底的に行なわれます。<『日本教について/イザヤ・ベンダサン』

2016-05-06 15:38:55
山本七平bot @yamamoto7hei

②日本人のうち、子供のときに 「(私の責任です)ゴメンナサイ(またはスミマセン)と言ってあやまりなさい。そうすれば(そのことの責任は追及せず、無条件で)ユルシテあげます」 と言われなかった者は一人もおらず、いわばこの考え方は「子供のとき尻から叩き込まれている」のです。

2016-05-06 16:09:15
山本七平bot @yamamoto7hei

③もし子供が、その行為に対して、むしろそれに相当する処罰を受けた方が良いと思って「ゴメンナサイ」とも「スミマセン」とも言わなければ、この「ゴメンナサイ」とも「スミマセン」とも言わないことに対して、(続

2016-05-06 16:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

④続>「強情な奴だ、ゴメンナサイといえ」 といって、ゴメンナサイというまで処罰がつづけられることはありますが、この処罰はあくまでも「ゴメンナサイ」と言わないことに対してであって、そのもととなった行為に対して処罰が下されているのではないのです。

2016-05-06 17:09:07
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤従って、欧米の家庭で当然に行なわれている不当な行為に対する「体罰」は日本では皆無に近く、これが子供を甘やかすと誤解されますが、これは誤りで処罰の対象が違うだけです。 小学校でも同様の教育をうけます。 数年前ある事件が新聞に報道されたことがあります。

2016-05-06 17:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥これはある小学校で小事件があり、教師がそれを追及したところ、 「私の責任です」 といって一生徒が名乗り出ました。 ところが教師がいきなりその生徒を殴打したところ、それが原因でその生徒が死亡した事件です。

2016-05-06 18:09:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦教師の行為はもちろん異常であり、あらゆる非難をうけ、法の裁きをうけるのは当然ですが、その時の関係者が揃って口にした非難は「自分の責任だと言った人間を処罰するとは何事だ」という事であっても「(責任を認めたのだから)処罰は当然だが、そういう処罰をするとは何事だ」ではないのです。

2016-05-06 18:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧従ってこの処罰が何の事故を起さなくても、この教師は、当然のこととして非難されます。 中学校・高校・大学へと進んでも、また家庭でも一般社会でも、以上の教育は徹底しておりますので、そういう学生が西欧へ留学しますと、時には、驚くべき事件を起すことがあります。

2016-05-06 19:09:03
山本七平bot @yamamoto7hei

①五、六年前ですが、西ドイツの新聞に、ある日本人留学生が大学図書館の本のあるぺージを切って盗ったため、窃盗罪で起訴され、懲役刑を課された、という記事が載っていました。<『日本教について/イザヤ・ベンダサン』

2016-05-06 19:38:49
山本七平bot @yamamoto7hei

②私は、日本の新聞もこの事件を報道し、この事件の背後にある、日本と西欧の根本的な考え方の差を追及してくれたら、…日本人に大きな示唆を与えるのではないかと考えましたし、今もそう考えておりますが、私の知る限りでは、ついに、日本の新聞には報道されなかったようです。

2016-05-06 20:09:13
山本七平bot @yamamoto7hei

③窃盗そのものは、もちろんどこの国にもあり、別に珍しくありません。 ただ珍しいことは、日本では、図書館の本を切りとって法廷に立たされた学生は一人もいない、ということなのです。 もちろん西ドイツにもいないと思います。

2016-05-06 20:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

④しかしドイツ人の場合は、一ページを窃取してそのため残る生涯を棒にふるような、常識では考えられない行為をする人間がいないからいないのですが、日本ではそうでなく、こういう行為をした人間を法廷に立たせることが不可能なので、いないのです。

2016-05-06 21:09:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤というのは現に日本の図書館には、あるページを切り取られた本が、いくらでもあるからです。 では、もしその窃盗の現場を教授なり司書なりに発見されたらどうなるか。 その場合は、「ゴメンナサイ」「スミマセン」と謝罪すれば、この行為は不問に付されます。

2016-05-06 21:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥ただもし「ゴメンナサイ」「スミマセン」とあやまらなければ、この「あやまらない」ことに対しては、徹底的な追及がなされます。

2016-05-06 22:09:09
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦しかし、もしこの際、その教授なり司書なりが、謝罪してもしなくても、窃盗は窃盗だから、その行為は当然法にふれると考えて、謝罪させた上でその生徒を警察に引き渡したなら、今度は逆にその教授もしくは司書が非難され、おそらく「教育者の資格なし」と断定され、免職になるかも知れません。

2016-05-06 22:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧日本教の世界では、これが当然とされることは、今までのところを読み返して下されば、ほぼ理解していただけると思います。 そしてこの留学生の「不幸」は、彼が、ドイツ人も日本教徒だと思い込んでいたことが原因でした。

2016-05-06 23:09:11
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨しかしドイツならずとも、日本教以外の世界では、この論理が通用しないことは説明の必要はないと思います。

2016-05-06 23:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩第一、図書館の本は教授や司書の私有物でありませんから、窃盗を不問に付する権限は彼らにないはずで、もしそんなことをすれば、公有財産の盗奪に加担し、犯行を隠蔽したことになり、管理者としての責任を全うしなかった者として、それこそ「責任」を追及され、非難されることは明らかです。

2016-05-07 08:09:13
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪この留学生はそれを知らなかった――ということは、教授・司書も自分をも律する第三者としての「法」があって、その法が自分たちを共に律しているとは夢にも思わずに、物心ついたとき以来「尻から叩き込まれた」教義に従って「スミマセン」と言ったのでしょう。

2016-05-07 08:38:59
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫日本教の世界なら、これで「行為」は不問に付されます。 しかしドイツでは、これで「罪状認否」において、本人が自ら罪状を承認したことになりますから、当然のこととして法に基づく所定の手続きがとられ、後はすべてが「法」によって自動的に進行しただけのことでしょう。

2016-05-07 09:10:04
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬ただ以上のことで誤解してはならない点があるとすれば、これは多くの人が誤っているように、 日本人の倫理的水準が西欧より低いということではない、 ということです。 そうでなく、 倫理の「基準」が違う のです。

2016-05-07 10:09:18
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭西欧にはもちろん、西欧の倫理的基準に基づいて水準の高い人もいれば低い人もいます。 それと同じで、日本には、日本教の倫理的基準に基づいて水準の高い人も低い人もいるわけです。

2016-05-07 10:40:02
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮これは当然のことなのですが、日本が西欧に接触して以来、相互にこの「基準」の差を「水準」の差と混同し、誤解し、それによって生じた混乱のため、現在では、論議不能なまでになっています。

2016-05-07 11:09:13
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯従って前述のような例をとりあげればすぐに一方では、 「日本人はドイツ人より倫理的水準が低い」 と考え、他方はこれに反撥して 「ドイツにだって、もっと倫理的水準の低い奴がいる」 といった実例をあげての反論となって、常に何も明らかにならず、何の結論も出ないのです。

2016-05-07 11:38:54
山本七平bot @yamamoto7hei

①従ってここで、もう一度、これは「基準」の問題であって「水準」の問題でないことを申し上げておきます。 この点で私が常に問題を感じているのが、日本教徒キリスト派です。<『日本教について/イザヤ・ベンダサン』

2016-05-07 12:09:06