福一の事故に関わる従来型マスメディア報道から見え隠れするものはあるか
①官邸前デモが盛り上がっていく過程で、従来型マスメディアが報じない、その扱いが小さい、不適切な内容を含んでいるという指摘が、ネットで当初見られた。
2012-10-15 00:15:19③なぜ、従来型マスメディアの記者がその事実を知っているのにも関わらず、報じなかったのか。むしろ、記者が報じないということにその職業的な属性から疑問を感じる。その疑問にこたえるかたちの、一つの説明としてはこのようなことが考えられないだろうか。
2012-10-15 00:16:11④福一の事故当初、事故がどのようなものであるのか、規模そしてその影響、被害に対する情報が錯綜、あるいは情報がないなか、専門家を招いて、どのような事態なのかの可能性を解説された。
2012-10-15 00:17:00⑤その後、従来型マスメディアでは次のように付け加えた。危険を回避するためには適切であったかどうか問われるような「安心してください」との解釈、判断を含むようなコメントがされた(伊藤守『テレビは原発事故をどう伝えたか』(平凡社新書)参考』。
2012-10-15 00:18:25⑥「これは混乱やパニックが生じるのではないか。そのような事態は避けたほうがよいだろう」のような心理が働いたのではないかと考える。官邸サイドなどの政府から要請を受けて、情報制限、大本営発表のようなことが意図的にされたかされていないかは分からない。
2012-10-15 00:18:59⑦ただ結果は、報道をみたものには、そう思われるものがあった。だから、そのような批判が今もある。政府側からの要請があろうとなかろうと、おそらく、そのような解釈、判断がされた可能性があっただろう。
2012-10-15 00:20:21⑧なぜ、そのような行動がされうるのか。それはマスというメディアの担い手であるという今までの慣習から、混乱やパニックにつながるような事態は回避したほうがよいだろうという心理がその担手個人に働きやすくはなかろうか。
2012-10-15 00:21:20•⑨これは大本営発表のような報道が意図されたものであろうとなかろうと、結果としてそのように観測するものがネットで多く見られる結果を招くことになった。
2012-10-15 00:22:07⑩そのような批判が可能であることを事実として考えたとき、いくつもある事実の一つではないだろうかというものだ。意図しようとしないとも、あの想定外の事態のなか、そのように報じるマスメディアの行動がありえただろう。
2012-10-15 00:22:39⑪では当初、従来型マスメディアは、なぜ、官邸前デモを報じなかったり、そしてその規模を過小に報じているのではないかという批判がなくならない報道をしたのだろうか。
2012-10-15 00:23:07⑬現在、中国で反日デモ参加者が、日系企業の店舗などの破壊のように暴力的な行動や、暴動のようなことがおきている。そのようなパニックにつながることを避けたほうがよいという危険回避の心理が働いたのではないだろうか。
2012-10-15 00:23:50⑭従来型のマスメディアの報道から、その参加者が増えて暴動などのパニックになってはそれを誘発させたという責任を問われかねないといった心理が働いたこともあるかもしれない。
2012-10-15 00:24:17⑮記者としては事件を報道したいという誘因より、そのような心理が勝って、ネットメディア、フリーといわれる記者がいるメディアが従来型マスメディアを出し抜いて、報じる結果となった。
2012-10-15 00:24:42⑯福一の事故直後は、パニックを避けるより、健康被害を避けるような行動を喚起すべきだったという意見が聞かれる。それは危機回避として、根拠のある意見だ。
2012-10-15 00:25:05⑰一連の福一からの経験より、メディアの担い手はその多様性を担保するとともに、何を優先するべきかという課題が見えてきたのではないかと感じる。(了)
2012-10-15 00:25:55利益につながるという理由で、社会でおきている、問題や課題を伝えるニュース、例えば被ばく労働者の労働環境についての情報が報じられなくなるような「情報の淘汰」がされないように、情報の「受け手」としてシビアな目で情報を見る必要性があるのではないか。(おしどりさん(東京吉本所属))
2012-10-15 00:33:05