- wancupmaster
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わたしの名(=キリスト者、クリスチャン)で呼ばれるすべての信者は、わたしの栄光のために、わたしがその一人一人を創造し、一人一人を形造り、一人一人を造った、ということになるのです。だから日々神の栄光を現せるようにみことばによって養われましょ
2013-01-31 07:23:09エホバの証人で知られている「ものみの塔聖書冊子協会」は、その名の如く“聖書のみことばを(私的に解釈した)冊子を(売り歩く)協会”でしょ。
2013-02-15 11:10:13だから、その集会所名は「王国会館」で、どこを探しても神の愛、イエスのあがないを示す十字架はありません!なぜなら彼らは、十字架は呪われたものと教えられているからです。彼らは「イエスは一本の杭に付けられて死んだ」と教えられています。←ルカ23:38をどう理解してるのかしらね。
2013-02-15 11:12:39「これはユダヤ人の王」という罪状書きは“イエスの頭上”にあったとあるのに、「杭」に付けられると罪状書きは「頭上ではなく、両手の上」にあることになりますよね!?
2013-02-15 11:15:12第二ヨハネの手紙 9ーだれでも行き来過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。
2013-01-26 22:11:44あ〜!! 思い出した!宣教師に連れられて初めて行ったモルモン教の教会には、壁に棒グラフが貼ってあって、誰がどこまで「モルモン経」を読んだかを競ってました。(なんで聖書じゃなくてモルモン経?教会って聖書を読むんじゃないの?)って不思議でしたね。
2013-02-15 10:54:42(なんだか、どっかの会社のセールスマンみたい…変なの…)というのが第一印象。そこに「コ−ヒー禁止。紅茶禁止。日本茶禁止。カフェイン、ニコチン、アルコール禁止」と言われてどん引きしたのでした。
2013-02-15 10:57:00「末日聖徒イエス・キリスト教会」と言いながら、教会堂のてっぺんには十字架ではなく、ラッパ吹いた天使が立ってる→第二コリント11:14のみことばを思い出します。ここにも神の知恵と導きがあったことを、後になって知ったのでした。
2013-02-15 11:03:00キリスト教の仮面を被った異端信仰」に入ると、わざによる救いを強要されて心身ともに疲れ果ててしまいます。惑わされることのないように、クリスチャンが本物の福音を先に宣べ伝えられるように、霊的に成長したいものです。
2013-02-15 11:17:53神さまに造られた人間が、神の基準に従わなくなったことをギリシャ語で「ハマルティア(的外れ)」=「罪」と言っています。新約聖書で「罪」ということばは、常に単数形で書かれている理由はここにあります。私たちが思う一つ一つの罪は、的外れの結果です
2013-02-01 08:22:22とあるように、献金は神への感謝であり、喜びを持って、週の初めに用意して(別にしておく、とっておくの意=聖別)、捧げるものです。神さまとの個人的関係の中から、感謝と喜びをもって捧げられるもので、強制によるのではありません。
2013-02-03 10:42:27たまに「イエスはマグダラのマリアと結婚していた」などと、変なことを言う方がおられますが、イエス・キリストは天で教会(花嫁)と結婚する花婿なので、地上では結婚してません。念のため…^^;
2013-02-17 12:58:01神様のことばを、その奥義を学ぶことは、魂が揺さぶられます。生きる喜びが内側から湧いてくるのを感じます。時々 涙が出そうになります。 昨日のバイスタで頂いた感想です。栄光在主!
2013-01-27 13:36:10