- MitsueKijima
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僕は日本国憲法は「押しつけ」とは思わない。理由はいくつかあるが、最大の理由は、日本はこの憲法を選択しないこともできたからだ。どういうことか。つまり、GHQ案の他によりよい対案があるのであれば、それを国民に示し選択を問う総選挙することができたのだ。日本政府はそれをしなかった。
2013-05-17 23:12:351946年2月13日、吉田外務大臣、松本国務大臣、白州次郎終戦連絡事務局参与、長谷川外務省通訳官が日本側の憲法草案(松本案)への回答を得るためにGHQと会談した。現・日本国憲法の草案はこの時にGHQから示される。この時のホイットニー民政局長の、マッカーサーを代弁した発言が重要。
2013-05-17 23:17:45この時、ホイットニーはこの憲法草案を国民に示すべきだと言った。さらに重ねて、日本がそうしないのならGHQが示すと言った。いうなれば「示す」ことを強いたのである。受け入れることを強いたのではない。ここがキモだ。示して、日本国民が何を選ぶかは分からない。その選択はゆだねられたのだ。
2013-05-17 23:22:29ホイットニーは、松本案に固執する日本政府に対し、5日後の2月18日、使者の白州次郎におおよそこう述べる。内閣がGHQ案を受け入れないなら、直接この案を国民に示して、総選挙の論点とする、と。繰り返す。受け入れろとは言っていない。国民に示すのか、どうかと迫ったのだ。
2013-05-17 23:25:30ちょい脇道。ホイットニーの発言を受けて、2月19日に閣僚会議が開かれる。いわゆる「押しつけ」論の根拠のひとつが、この時に松本国務相が“これを受けないと天皇の身体は保障できない”と脅されたと主張したことなのだが、これは日米双方の史料より歪曲であるとみなしうる。
2013-05-17 23:33:23さて、GHQは憲法草案を受け入れろと強いたのではなく、受け入れるかさもなくば国民に示して民意を問えと選択肢を提示したのであった。日本政府はどうしたか。選挙で民意を問うことを避けたのである。なぜか。日本案(松本案)の如き内容は、当時の世論からGHQ案に勝てるはずがなかったからだ。
2013-05-17 23:38:00その結果、日本政府は、閣僚でまともに議論しないまま(正確には議論する機会すらまともに作らなかったのだが)、受諾したのだ。これは何を意味するのか。まずは日本政府の保身である。憲法を争点に選挙すれば負ける可能性があった。そして、選択の機会がなかったにせよ、「民意」が勝ったのである。
2013-05-17 23:43:05以上をもって、憲法は「押しつけ」とは言えぬ。嫌なら国民に問えばよかったのだ。日本政府はそれを避けた。避けさせたのは当時の国民の民意である。つまり、「押しつけ」論とは、この時にすべてを賭けて国民に問うことから逃げた保守のルサンチマンにその根源を持っているのである。
2013-05-17 23:46:12後日譚になるが、この後、46年3月6日、憲法改正草案要綱が発表される。天皇は即、改正を決断。二大保守党の自由党、進歩党もさっさと賛成を表明。笑えるのだが、「戦争の放棄」については、自分たちの考える原則と一致しているなどと見解を出している。実質的に反対したのは共産党くらいであった。
2013-05-17 23:51:41橋下徹が日本の大統領になるというディストピアの未来もありえた。それを食い止めたのは、アメリカでもメディアでも自民党でも共産党でもまして日本国民でもない、かつて従軍慰安婦だった方々、名乗りでたひとりひとりの方々の存在だ。
2013-05-18 00:03:25幣原喜重郎が憲法における戦争放棄の発案者という見解はいまも根強いものがあるが、当時の記録を読めば読むほど疑わしく思う。例えばGHQ案を受けての46年2月13日の閣議では幣原は反対してるんだよ。芦田均(厚生相)が冷静にそれじゃ選挙で負けちまうって突っ込んでいる。
2013-05-18 00:09:12幣原の自伝や、後のマッカーサーの発言では、かなりドラマチックに幣原こそが戦争放棄の発案者というふうに読み取れるのだけど、どうもねえ。
2013-05-18 00:10:07