人の心というものは奇妙なもので、自尊心が損なわれる行動から逃避する傾向がある。たとえどんなに好きなものだったとしても、様々な視点から諦める理由を探してしまう。
2013-06-17 10:16:02自尊心を損なう行動が生きるという行動だった時、人は死にたくなってしまうのではないかと思う。そしてこの場合の生きると言う行動が趣味などと強く結びついていた場合も、死にたいと思うのはこういうことなのだろうと思う。
2013-06-17 10:18:28自分がいかにダメな人間で何かより劣っているかどうかというのは、正直死ぬ理由にはならないし、生きていけない理由にはならない。利害で生まれる命はないからだ。
2013-06-17 10:20:18でも、だからこそ自分が生きることや、何かをすることを肯定するのは難しい。理屈で肯定しようと思うと躓いてしまうのではないかと思う。それは仕方ない。
2013-06-17 10:22:36とはいえ、肯定出来ないと尚更行動はできなくなる。やがては足踏みをすることさえみっともないと思い、しまいには諦めてしまうこともある。
2013-06-17 10:23:15時間は不可逆なのだから、戻ることや止まることはできない。しかしながら、人は自分が進んでいる時にはその自覚があまりない。止まっているとさえ評価することがある。
2013-06-17 10:25:51その様にささいなマイナスや身の回りのネガティブなイベントに敏感なのは生存本能と強く結びついていて、動物の一つである人間である限り抜けられない傾向である。そして一旦ネガティブな事を見つけてしまうと、似ていることを探すのが得意な私たちの脳はダメなこと探しをしてしまう。
2013-06-17 10:28:09自分の思考回路というのは「いつもの通り慣れた道」のようなものである。なので一旦ダメなこと探しゲームが脳内で始まってしまえば、脳の思考回路はダメなこと探しに特化する。鬱病の患者の脳の形が変わってしまうのはこういうことなのだろうと思う。
2013-06-17 10:30:20そうして自己肯定感や自尊心は下がっていくと、生きることがつらくなる。生きることがつらくなると生きることから逃げたくなる。
2013-06-17 10:32:47動物の欲求が快楽の追求と苦痛からの逃避だとするなら、死ぬこととはこの場合、マイナス思考に特化しすぎた脳髄と付き合う苦痛からの逃避であり、同時に苦痛からの開放という快楽の追求でもある。なので死が魅力的に思えてしまう。
2013-06-17 10:33:05とはいえ、いざ死ぬ段階になり、もし不幸中の幸いで死ねなかった場合、冷静になる。死ぬことが美しくも魅力的でもないことに気付く。
2013-06-17 10:36:05でも生きることは苦しい。こんな汚い(ようにしか見えない)世界で生きるのは耐えられない。でも死ぬのは怖い。でも生きるのは辛い。 こうやって視野狭窄に陥り錯乱し、日常で見つけた些細な快楽や幸せに逃避し続けてしまう人もいるのだろうなと思う。
2013-06-17 10:38:04逃避するのは悪いことじゃない、むしろ人生においてなにかから逃げていない時のほうが少ない。それはリスクだったり不幸だったりするが、私たちは何処かに向かう一方で何かから逃げている。
2013-06-17 20:09:37真実は自分の中だけにある。口に出すと形が変わったり霧散してしまうこともあるけれど、それでも確かに自分の中にしかないものだ。
2013-06-17 20:14:51真実を自分が見ている風景だとするなら、その見えている風景が全てだと知らないうちに信じていることもある。しかし、逆に見たい風景が本物だと信じることを意識的にするのは難しい。自己肯定が出来ないなら尚更困難だと思う。
2013-06-17 20:27:11