震災復興支援報告会 500kmは越えられる―いま、ここにいてできること
#fshien 「頑張ってって言っちゃダメ。そういわれていたが、実際はそんなことない。辛かった思い出を話してくれた人もたくさんいたし、その話すことで発散できる。聞いちゃいけないなんてことはない。津波にのまれた映像を見せてくれたおじいちゃんまでいた。」
2013-06-10 18:37:59「震災のことを話したくない」とよく聞いていたけど、実際はつらかったことを話したいひともいるそう。実生活のなかで確かにそれはある気がするなー。別に意見が欲しいとかじゃなくて、ただ聞いてもらいたいだけで。#fshien
2013-06-10 18:39:20#fshien 流された時の話を詳細に話してくれる人の映像。自分が津波に流されている時の映像を見せてくれはえたたきで自分がいる場所を指している
2013-06-10 18:39:26#fshien ホームビデオで家が流されときの映像。「子供たちはみんなこれを見ている。『家流されちった』」 映像ではお父さんがながされている (幸い浅瀬で助かった)
2013-06-10 18:41:04#fshien 「家も流され冬空外に出された。とても寒いはず。なのに凍死した人は少なかった。それは何故か。」
2013-06-10 18:42:41#fshien 「夏はたくさんの学生が来たのに、冬になったら学生も全然来なくなった。この映像は被災地に行った際、お父さんが渡してくれた映像。これはバトンだと思った。学生など色々な人にこの映像を見てほしいと思い、報告会を始めた。バトンの受け取り方は自由。」
2013-06-10 18:43:55#fshien 「家を流されたらどういう場所に住むのか。それは避難場所。教頭に映像をとっていいと言われ撮影し、Youtubeにアップした」
2013-06-10 18:44:45#fshien ちょんまえげを見て笑うおばあちゃん。狭い部屋に多くの人が生活している。マットもない。教室の床にマットなしで新聞等で寝ている。冷蔵庫の寒さの中で寝ていた。
2013-06-10 18:45:44家にある大切なものっていうか、家にあるものってほとんどが大切なもの。それらがすべてなくなったらなんて、考えたこともなかった。あえて素直にいうと、多分メンタルズタボロになる。そして、多分でしか語れない。#fshien
2013-06-10 18:45:58#fshien 「情報もライフライン。この情報を当時知っていれば、この場所にもうふ等を届けられたはず。今も同じ。NHKだけじゃ伝えきれない。家がある人ない人。学習支援を受ける人、受けない人で格差が生まれている。NHK等は一部の事象を流すことは出来ない」
2013-06-10 18:47:10#fshien 「被災地報告会で子供たちに聞いている。この状況は快適か?そんなことはない。おばあちゃんは「快適で便利になった」と言った。こんな環境でも快適で便利と言わせてしまうのは何故か。もっと悪い環境にいたということ。それはNHKは新聞は伝えてくれない。」
2013-06-10 18:49:16#fshien 「色々な人との出会いがよかった。そんな崇高な考えなんてもともと持っていなかったが、この出会いが私を突き動かしている。」
2013-06-10 18:50:19バトンを繋ぐという感覚! 被災地に行ったことがなくTVの情報だけで把握した‘つもり’になってたけど、今日見ている映像だけでも、自分が震災に関して何にも知らなかったと気づかされた。。#fshien
2013-06-10 18:52:30#fshien 家の基礎が続いている映像。全部引き波に持って行かれてしまった。高架に家が乗っかるまで。「ちょうど今から二年前、私はポジティブで1年もたてば線路一本くらい戻るだろうと信じていた」
2013-06-10 18:52:50#fshien 家が高架の上に上がってしまったおばさんと話す映像。子供の家はあれで、とか色々と自分の事を話されている。
2013-06-10 18:54:05#fshien 「このおばさんは震災後3か月で田んぼを再開して、農業を続けた。6月にべこべこの仮設住宅にすごしている。足台がなくて上がるのも大変。なかには薄型テレビにこたつ。意外と豪華。」
2013-06-10 18:56:18#fshien「一番伝えたい情報が2つ。家に居ながらニュースをみて、大変なところに住まずに引越せばいいと思っちゃうが、それは自分たちの考え。地方の人の多くが務める第一次産業。そういう人たちは地に根付いていて、引っ越さない。こっちの人はこっちにこいって言いたくなってしまう。」
2013-06-10 18:57:49