「風立ちぬ・・・」

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特性のないアザラシ @hominis_nomine

「風立ちぬ いざ生きめやも」(風が立った さあ生きようとするのだろうか いやしない)という堀辰雄の翻訳は、ヴァレリー原文の「風が立った ! 生きようとしなくてはならない!」とはまったく対応しない、という正論を、僕が批判する理由を簡単に書いておきます。

2013-07-24 09:16:01
特性のないアザラシ @hominis_nomine

堀辰雄のこの翻訳はヴァレリー「海辺の墓地」全体の翻訳に含まれるものではなく、原文の「生きようとしなくてはならない!」が持っている、詩人の死に向かう欲求と、詩の言葉の中で生きなければならないという格率との間にある齟齬をピンポイントで紹介する役割を果たしている、というのが僕の意見。

2013-07-24 09:25:42
特性のないアザラシ @hominis_nomine

たしかに「海辺の墓地」全体の翻訳に含まれる一節として、「さあ生きようとするのだろうか いやしない」が出てきたならば、誤訳と言うべきだ。しかし原詩には、ゼノンの不動の矢で射られた詩人の死と生、海という言葉の格率を前に、ウジ虫に身体を蝕まれる詩人の姿が描かれている。

2013-07-24 09:30:34
特性のないアザラシ @hominis_nomine

海と墓地との間にいて、死にながら言葉の中で生きるという原詩の紹介文として、il faut(する必要がある)とtenter de vivre(生きようとする)のしっくりしないつながりを、「さあ生きようとするのだろうか いやしない」という、だれもが引っかかる日本語で示したと考える。

2013-07-24 09:34:16
特性のないアザラシ @hominis_nomine

批判してくださったnean 氏は、一貫してヴァレリーの屈折と、堀の日本語の反語表現は対応しないと言っておられた。この点は正しいことを認めます。しかし、僕が言っているのは、堀が我田引水で翻訳したあのやり方も、原詩が意図的に表現するパラドックスの紹介という価値を持つということです。

2013-07-24 09:37:13
特性のないアザラシ @hominis_nomine

堀辰雄のあの悪文は有名であり、だれもが批判する。しかし、その割には「海辺の墓地」を読んでみようとする人は少ない。たしかに堀辰雄が断片的に下手な翻訳をやったのはよくないが、「海辺の墓地」のイントロダクションとしての意義を認めてはどうか、というのが僕の批判の根拠です。以上、連投失礼。

2013-07-24 09:39:52