医の王道と亜流
当院とその関連病院の中で、いわば内輪で行われる「研修医の症例発表会」に当院から提出する症例を選びました。研修医が日常経験した症例を25分くらいにまとめ、他院の研修医達と共有するというものです。当院でこのようなやり方はまだはじめたばかりであり、試行錯誤しています。
2013-07-25 12:37:05当院から出す症例の中に、「胃癌から出血を繰り返す患者さんに対し、手術不能な場合に局所の放射線照射によって出血を止めた2例」というのを、初期研修医の一人に用意してもらうことにしました。これは、けっこうなチャレンジであります。
2013-07-25 12:38:01患者さんは「病気を完全に治し、病気にかかる前の自分に戻してもらいたい」というモチベーションで病院に来ます。しかし、実際には(運命論を云々するつもりはありませんが)、「病気を完全に治せない」ケースはごまんとあります。
2013-07-25 12:38:51かつて「手遅れ」と言われた病気に対し、現在では「best supportive care」という言葉での対応が求められるシーンがあります。がんが進行しすぎて手術ではとれないし、抗がん剤も患者さんの元気をなくすだけ、だからなにもしない、という考え方です。これは一面の真実。
2013-07-25 12:39:36しかし、今この瞬間、人類が与えられている叡智を駆使することで、「姑息的」とはいいながらも「何もしなかった時にくらべ、患者さんの残りの時間を少しでも過ごしやすくする」という手法が、医学には内包されています。先ほどの「出血する胃癌に対する姑息的放射線照射」はこれに該当すると考えます。
2013-07-25 12:40:42照射された患者さんは、病院や医療に対し十全の納得をすることはないでしょう。しかし、そこに確かに「医療を知り尽くして、その上で患者さんのためにできることをする」という「医術」は、確かに医学領域の一部に存在します。
2013-07-25 12:42:08先日から、似たような概念のツイートを見ます。いわく、「学生としての世界しか知らなかった人間が、社会人一年目で『これぞ天職だ』と言うなんておこがましいのではないか それは世界が狭いからだろう」的な内容です。言い方はきついですが、確かにそういう側面はあります。
2013-07-25 12:43:14「医者になって、患者さんの治る顔を見たい!」そのようなモチベーションで医学部に入り、高潔な思想の下に医学を学べば、多くの人がいずれ気づきます。「自分は、患者さんをすっきり治したい。でも、そうならない患者さん、決して治らない患者さんから目を背けていいのか?」
2013-07-25 12:43:59「決して治ることは無いけど、何か、残りの人生をよくするための手法を模索して、そこですったんばったんとうごめく医療に関わる人間の顔は、もしかすると苦渋に満ちていながらも、輝きを放っていないだろうか?」
2013-07-25 12:44:31そういう「気づき」に対して答える科が「治療放射線科」であり、「麻薬をきちんと使う医師」であり、「終末期医療に携わるスタッフ」であり、また「病理医」でもあるのです。循環器科や、メタボリックシンドローム、腰痛・骨折を治すのが医の王道だとして、我々「死に向かう医療者」は亜流でしょうか。
2013-07-25 12:45:51はい、亜流です。だからこそ、医学生にはまず「王道」をきちんと勉強していただきたい。しかしその上で、競争原理・勝敗・生と死を単純に二元解釈しない、「文学的に戦う医師」の存在が見えてきたとしたら、あなたはきっと放射線科医や麻酔科医、病理医などに向いているのではないかと思うのです。
2013-07-25 12:46:51