ネットで検索しても出てこないけど京都駅から徒歩10分くらいの東九条にある遠藤書店やばいですよ。昔は新刊書店だったんだろうけど、今は古本や釣り道具やよくわからんグッズが置いてある。自前の冷蔵庫から100円でジュースも呑める。たぶん主人は在日の方でラジオからトロットが流れてた。
2013-07-24 01:14:15@nurarinop わー、とんく(アクセント:ん)も行かれたんですね!いいなあ。この後レポに出てきそうだけど笑、あの界隈ならではの辛いソースを使ったお好み焼き/鉄板焼きと(東京でいう「ボール」的な)「あか」というサワーの文化を思い出したら非常に恋しくなってきました…。
2013-07-24 01:34:59@natugt トンクと衣笠開キ町に行ってきました。時間無くてお店には入れなかったのですが…すっごい愛着が湧くDOPEな風景の数々でまた行きたいと思います。「あか」知りませんでした!
2013-07-24 01:44:21@nurarinop 衣笠は知りませんでした…金閣寺とか以外住宅街の記憶でしたが、さすがの行動力だなー。「あか」は焼酎を赤いファンタで割ったサワー、みたいな。甘いし大して美味しくない笑、でも界隈以外では全然見かけないので記憶に残る飲み物でした。
2013-07-24 01:56:52@natugt やっぱり土地のもの飲まなきゃダメっすね。衣笠は佛教大学の真裏です。西院やウトロ、大阪まで足を伸ばして鶴橋にも行っておきたかったです。やっぱり差別の現場を見ておきたいと思いまして。ネット上の町歩きblogはレイシストが更新してるので、おれが書かなきゃと思ってます。
2013-07-24 02:01:50@nurarinop 僕が住んでた10年程前(単に自分が余所者で無知で鈍感過ぎただけかと思いますが)左京区の出町柳近くで同和系の看板掲示がある位で日常で差別の表出が感じられなかったんです。在日の方達へも同じく。現在の町歩き系ブログがそんなことになっていることも知らず驚きです。
2013-07-24 02:14:04@natugt 僕も一度や二度歩いた程度なので差別の表出をどう感じ取れたのかは整理できずにいます。衣笠開キ町は砂防ダムに住み着いてしまった在日朝鮮部落ですので、「地形」や「壁」という分かりやすい隔たりがあって、キッツイなと思うと同時に、不謹慎ながら住まいの面白さに興奮しました。
2013-07-24 02:18:51.@natugt たとえば「どっちもどっち」のウォチがこれ https://t.co/FtwCx0Evn7 で、レイシズムを孕んだウォチがこれ https://t.co/SR5vedimVR です。
2013-07-24 02:22:32@nurarinop ああ、地形に関しては僕も興味が沸いてしまうポイントです。街がつくられてどうやって人が入ってきたかの歴史でもありますね。それでぱっと思い浮かぶのは阿倍野と飛田新地の境目とか。Googleマップの衛星写真を舐めるように見てしまいます。
2013-07-24 02:26:38@nurarinop さっき思い浮かんだのですが後者はやはり。納得しました。あの差別嘲笑的な視線もさることながら、意外と内容が薄いことがわかるのがまた腹が立ってここ数年はアクセスしないようにしています。
2013-07-24 02:29:19@natugt そのblogでも今回寄った地域は取り上げられています。町や人に相対するはずの町ディガーの多くがレイシズムや政治に無頓着なのには呆れます。どの面さげて「観察」してんだよ、と。
2013-07-24 02:37:04@nurarinop 土地の名前でググるとコンテンツとして希少でヒット率が低いせいかディープ案内が結構トップに出てきちゃうんですよね…あっ、それへのカウンター的に別のサイト作ってインデクスさせてヒットさせるってことだ!
2013-07-24 02:42:24東九条にはお好み焼き屋がたくさんある。次回行くなら間違いなくここ「本多」。「林」と並ぶ東九条名物「べた焼き」の老舗だ。 #東九条 http://t.co/aop4osIF6x
2013-07-24 02:44:26パッチギの舞台 http://t.co/CkOL8vvDEW 検索してたら「1970年代末期~80年代初期の京都の 【アンダーグラウンド・ローカル・カルチャー】に興味ある人は、ぜひ読むべし」ってクソ熱い不良のエッセイサイトに辿りついた笑
2013-07-24 02:48:11「当時、俺のまわりには自分が在日韓国人や被差別部落出身者であることを口に出して自慢するやつがけっこういた。喧嘩や揉め事になったときに「俺はどこどこのもんや!」といえば、相手は「もし今ここでこいつに勝てても、後からやっかいなことになるんとちゃうか」と思ってビビるからだ。」
2013-07-24 02:57:22「梅田の家に行くと、親父さんがコップとシャブをだしてきてくれて、水にその場で溶かして「まあ、いっときぃな」と勧められる。むろん覚醒剤の怖さを知っていた俺は遠慮したが、当時がいかにアバウトで通用する世の中だったかがわかるだろう。」
2013-07-24 02:58:01