海防艦ですか・・・ そう云えば先日、生放送で実装されるかも的なお話をされていましたね。 では、今日本編が行えなかったお詫びがてら、ほんのちょっとだけ #鳳翔の艦娘講座 番外編としまして、海防艦について。 一応次々回に占守さんがリクエストされてますので、詳しくはその時に。
2013-08-26 23:55:19海防艦とは、他の国で云うところのフリゲートあたりに相当する艦種ですね。 沿岸警備、船団護衛、対潜哨戒などを主任務として居ました。 元々は旧式化した艦艇を転用したりして居ましたが、後に海防艦として幾つかの艦級を生産して就役させています。
2013-08-26 23:57:52そのため、明確な大きさによる分別はありません。 諸外国に於いては海防戦艦なんて物も存在していたりします。 ただ「戦艦」と云いましても、巡洋艦サイズの戦隊に8~11インチ程度の砲を積んだ準戦艦的な感じだったようですね。
2013-08-26 23:59:55現在に於いては戦艦と云う艦種がほぼ消滅したのと同様、海防戦艦も保有している国はありません。 では日本はと云いますと、最初に云いました通り旧式艦の転用だったり、新造をしていたりと云う感じです。 そのしきいは、1942年に海軍で類別変更を行った事によって違いが出ています。
2013-08-27 00:03:27類別変更では、1937年以降に新造された小型護衛用艦艇を海防艦と改めていまして、それまでの転用艦は航行能力のある物は1等巡洋艦、ないものを練習特務艦として海防艦籍より除外をして居ます。
2013-08-27 00:06:02現在の海上自衛隊さんにはこの艦種区分は存在をしていません。 強いて云えば海上保安庁さんの巡視艇さん達がこれに近い・・・のでしょうか?近くて遠い気もしますけれどね。
2013-08-27 00:07:34といった、ちょっとさわり程度の海防艦の解説でした。 さらに少し踏み込んだお話につきましては、後日占守さんの解説の時に行いたいと思います。 本日の #鳳翔の艦娘講座 番外編はこんな感じで終わりたいと思います。ご静聴ありがとうございました。
2013-08-27 00:10:49占守ちゃんは占守型海防艦4人姉妹の長女さんです。 艦これでは現在、海防艦と云う艦種はまだ実装をされていません。 そもそも海防艦とは何か、と云う所から今日は入っていこうと思います。
2013-08-30 23:22:07元々は第一線を退いた旧式艦が、ある意味「最後のご奉公」の為、母港の守備に任じて居たのが始まりです。 その為、元々は戦艦だったり巡洋艦だったりと云う艦が形式変更で海防艦に任じられる、等と云う事が良くありました。
2013-08-30 23:29:36その為、一言で海防艦と云いましても定型が存在していなく、大きさも兵装もまちまちな状態でした。 先日の番外編でも紹介しましたとおり、北欧などでは海防戦艦と云うのも建造されたと云う歴史もあります。
2013-08-30 23:31:19これは、自国沿岸での運用を目的としていた為、巡洋艦程度の艦体に8~11インチの砲を搭載、喫水線を浅めに持ち、航続距離が短いのが特徴でした。 本格的な戦艦を保有出来ない国が建造をしたり、大国でも主力艦を使うまでもない様な平時において建造したり、と云う例も存在したそうです。
2013-08-30 23:33:04戦艦と云う艦種が第2次世界大戦で廃れたのと同様、海防戦艦も廃れて行きまして、今では存在していない艦種になっています。 さて、日本における海防艦ですが。 番外編でもお話ししましたとおり、1942年に類別変更が行われて、しっかりと種別が分類されます。
2013-08-30 23:35:00それまで旧式戦艦や旧式巡洋艦が海防艦とされていた物は、1等巡洋艦ないし練習特務艦に、1937年以降に新造された艦を正規に「海防艦」として指定。また同時に、それまで軍艦として類別されていましたが、類別変更で軍艦としての類別から外されることになります。
2013-08-30 23:37:06日本における海防艦の場合、先ほど例を出しました北欧における海防艦のイメージとは、若干異なる思想・設計を行われる事になります。 そのトップバッターになりますのが、本日紹介する占守(しむしゅ)ちゃんに代表をされる「占守型海防艦」です。
2013-08-30 23:42:11占守型海防艦は、元々オホーツク海など北方海域での漁業保護用に建造をされた艦種です。 昭和初期に於いて、オホーツク海方面などの北方海域では、たびたびソ連との漁業紛争が起こっていました。
2013-08-30 23:43:59これに対して日本は元々駆逐艦を派遣して対処をしていましたが、駆逐艦だと運用コストがかさむ事、対寒装備の不足により駆逐艦の派遣に難点を感じて居ました。 これを受けて1937年度の第3次補充計画により、漁業保護を目的とした艦の整備を行うことになりました。
2013-08-30 23:45:38艦種は従来からあった海防艦に類別をされ、ソ連の警備艦艇と公称を行う事を考え合わせて、小型艦でありましたが菊の紋章を与えられた軍艦として建造をされました。 その為、艦長は駆逐艦艦長よりも階級が高い人が任命され、駆逐艦の艦長がご機嫌お伺いに来るなどと云う事も起きていたみたいです。
2013-08-30 23:49:10特徴としましては、漁業保護が目的の為速力や火力は控えめでしたが、航続距離が長くなっています。 また、北方海域での活動を主眼に置いていた為、900トンクラスという小さな艦体でしたが、荒波に対抗する為に重心低下を徹底的に行い、結果復元性能が111度と云う高性能を誇っています。
2013-08-30 23:52:05また、水線部に氷が当たると想定して耐氷構造・二重底構造を採用。 露天甲板上は結氷により滑りやすくなる恐れがあったため、艦首から艦尾まで外にでることなく艦内で通行が可能なような構造になっていて、艦内暖房も充実をしていました。
2013-08-30 23:54:42とまあ、他の艦には無いような贅を尽くされた占守型海防艦でしたが、これは後に続く択捉型・御蔵型などの海防艦の原型となっています。 ただし、占守型自体は生産工程数が多かった為量産向きではなく、結果として4隻の建造で終わっています。
2013-08-30 23:58:03おもしろエピソードと云う訳ではありませんが、最初にお話ししましたとおり元々は旧式戦艦などが海防艦に転用されていました。 その為、占守型の基準排水量860トンが、「間違って」8600トンと発表され、慌てて訂正をした、と云う事があったそうです。
2013-08-30 23:59:34さて、占守ちゃんですが。 1940年6月に竣工をします。 太平洋戦争開戦前までは先ほど紹介しましたとおり、北方海域においての任務に従事をして居ます。 太平洋戦争開戦後は、南方からの資源輸送の船団護衛任務に従事。
2013-08-31 00:06:14ざっと列挙するだけでも、1944年1月、2月、3月2回、4月2回。これはヒ船団と呼ばれる船団の護衛ですね。 それから、同じく1944年10月から12月にかけて行われたレイテ増援輸送作戦(多号作戦)においても、第3次・第4次の輸送隊護衛に参加をしています。
2013-08-31 00:11:401944年11月25日、フィリピン・コレヒドール島西において米潜の雷撃を受け、中破。 その後マニラに入港した後、1944年12月にマニラから高雄へ移動をしています。
2013-08-31 00:16:00