- misonikomioden
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美術の関係の人たちは、例えば良い絵を買ったから家においでよと言われ行くと、そこにはトーマス・マックナイト(ラッセン系統と考えると良い)があって、それを見てしまったので会話が進まず、それどころか仲が良かったのに、離れてしまったようなこともある。→
2013-09-18 19:22:29→だから、ラッセンがだれでも受け入れる絵である、というのはその点からは反対できる。 趣味的に言えばというレベルではあるが。
2013-09-18 19:23:08みそにのツイート ボッティチェリの忘却と再評価について読んでいます http://t.co/eBBmOgiWuV
2013-09-18 19:25:16ボッティチェリが無視されていた時代が長く、それが再評価されるのは偶然もあって、それを考えるとヒロ・ヤマガタやラッセンが評価されることもあるし、また評価されてるものが忘れされることもある
2013-09-18 19:26:38西洋画人列伝ではラファエル前派の項があるが、彼らは揶揄でなく、自ら名乗ったことが重要で、彼らは歴史を変えるぞという意気込みであって、歴史修正主義、そこが重要
2013-09-18 19:28:42初期ルネッサンスは正期ルネッサンスと比較すると「ヘタ」であった。 つまり技術が重要であるという時代がずっと続いていた。 以前のボッティチェリのテンペラと比べダ・ヴィンチのスフマートは圧倒的であった。 その点から忘れされて当然とも言える
2013-09-18 19:30:02近代に入って写真が登場することで、絵筆をおる人たちも出てくるが、それでも残る人たちがいて、絵は絵で成立することが求められることになった。 そこで写実=技術以外のことを認める視点が出てくる
2013-09-18 19:31:54みそに=コレクターであって「信用出来ない」という立場は分かりやすい。 将来、価値が残り、また上がることを期待したいから。
2013-09-18 19:33:42作家は自分の作品を世に送り出すにあたり、優れているかどうか気になるところだが、その一つのやり方が村上隆。 市場で高い価格で売ることができること。
2013-09-18 19:34:33もう一つは美学的(美術史)で、自分の作品が信用できるのかということだが、中ザワが自作品の解説をこれだけしているのは、理系的なものの普遍から制作することで、必然と偶然が感覚ではなくある程度定量でできる。その点で信用ができる。
2013-09-18 19:36:39養老孟司が小学1年の時終戦を迎えたが、それまで軍国主義で勝つと言っていたが、負けた。 そこから話半分で聞くようになった。解剖学に進むが、文系的なものより理系的なもののほうが信用できる。
2013-09-18 19:38:06信用とは、1.高い価格がつくと、 2.理系的なもの。 そして3.作家としてのもの、つまり自分が歴史を書くという立場になることだ。
2013-09-18 19:39:46この流れから大野左紀子さんのブログに繋がります。 美術史は歴史修正主義のカタマリ http://t.co/PtBGq8A7HW
2013-09-18 19:41:03美術史は歴史修正主義という点で話を進めているが、その視点だけでなく「世界史」を眺めても書き換えが起きている。 「歴史」自体がその時その時で書き換えがされている
2013-09-18 19:42:59例えば中国史が面白い。 「親」を殺せ!という時代もあったし、知識人を殺せということもあり、また逆に知識人を養護しろなんて時代もあった。 分かりやすい例は焚書坑儒。 儒教書を燃やし儒者を穴に埋めた →
2013-09-18 19:44:28→西洋でも同じ時代があり、中世はプラトン・アリストテレスを禁じていたこともあり、自分の名前をテキストに残すなんてなかった。 しかし近代には個性重視となり真逆になってしまっている
2013-09-18 19:45:08医者であり美術家であると、医者であることが揶揄的に言われることもあり、あまり良い思えず、敢えて隠していたが、眼科医であること全面に出したの吉祥寺美術館。
2013-09-18 19:51:47境界で生息するという人はいる。 権力の構造は境界上にいる(水村美苗)、つまり 日本においては外国文化を翻訳機能があり大学権威がある。
2013-09-18 19:59:04