ナオミさん フィリピンでの活動を振り返って

ナオミ(@nao73714)さんが台風30号の被害を受けたフィリピンでの活動と それにまつわる思いをtweetしてくれました。
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ナオミ @nao73714

感謝セレモニーもわかるけど。大きな緊急救援が撤退するとき、現地のあらたな戸惑いが始まるんだ。いられないこと、せつない。

2013-12-14 16:54:08
NHK国際部 @nhk_kokusai

先月、フィリピンを襲った世界最強クラスの台風。6000人近くが死亡、1800人の行方が今も分からないままです。このほど現地に入った、日本人研究者の調査団にNHKが密着取材。証言や映像から、常識を覆す高潮の破壊力が明らかになりました→ http://t.co/QqTEeQZv9Q

2013-12-14 17:00:07

[超連ツイ]開始!

ナオミ @nao73714

台風30号通過からすでに一週間をへた16日のマニラ入り。最初のミッションはフィリピンネイビーの協力により現地の方からのガイドを受けながら。フィリピン人医師とともにマニラからレイテ島に向かっていた時、日本の自衛隊はタクロバン入りした数人の情報収集部隊を除いてまだ現地に入れずにいた。

2013-12-15 17:35:02
ナオミ @nao73714

私がレイテにいた間、自衛隊からアムダ本部に連絡が入ったそうだ。情報が欲しいと。私と本部との通信は不可能で情報交換出来ずじまいだったけど。現地で協働した人々は医療の届いてないところに出て行く必要があることをよく心得ていた。医療がすでに密集するタクロバンで同じことをする必要はないと。

2013-12-15 17:36:55
ナオミ @nao73714

当初タクロバン入りを言われていた私もセブ島でのヒアリングの後、まっすぐレイテ内の遠隔地を目指した。1000人部隊の自衛隊にも、頼むから他を選んで欲しい、出て行く医療を実現して欲しい、そんな思いでいた。

2013-12-15 17:38:48
ナオミ @nao73714

24日、レイテでの一次ミッションを終えてマニラに戻ったときのこと。被災地のことなどなかったかのように思わせる楽しげな買い物客で賑わうデパート。アムダコーディネーターが長く両替え窓口でつかまっていた。窓口の女性から、家族がセブ島北部にいる、ダメージが大きいが支援も薬もなく、

2013-12-15 17:40:21
ナオミ @nao73714

医者もいなくて困っている人がたくさんいる、出来ることなら助けて欲しい、でも…日本からわざわざありがとう。そんなことを言われていたそうだ。コーディネーターはその女性の家族の住所をメモしていた。でもアムダの別部隊はすでにパナイ島ネグロス島でも動いていた。私は次のレイテ島での活動が。。

2013-12-15 17:44:07
ナオミ @nao73714

その夜、ベースにしていた宿に帰ると、自衛隊がセブ北部に仮設クリニック開設を決定したという情報が入ってきた。すでに支援の集中しているタクロバンではなくきっちり必要な場所を選んだ自衛隊。デパートで会った女性の家族もきっと救われる。よっしゃ!って喜んだ瞬間だった。

2013-12-15 17:45:25
ナオミ @nao73714

アムダについて少し話そう。 Association of Medical Doctors of Asia。AMDA。歴史は古くって1970年代から。 広報はとても地味だけど、災害派遣の研修をたびたび受けていた私には、当たり前に馴染みのある名前だった。 海外でのネットワークは広い。

2013-12-15 17:48:21
ナオミ @nao73714

日本から1人の調整員が派遣されるとき、現地ではその10倍以上の人数が動く。現地カウンターパートの繋がりと、アムダ独自の繋がりから、被災国内と近隣の国から医療従事者を招集。可能な限り現地に近い所で薬品や物資を購入し緊急支援に使用する。被災された方の言語や被災地の経済、被災地の自助力

2013-12-15 17:50:22
ナオミ @nao73714

皆さんからの寄付、そういうものを大切にするやり方。 コーディネーターは身一つのまま日本を出て行くけれど、備蓄をすでに準備している大きな組織が被災地で実働を開始出来るまでの時間よりもアムダの稼働は早かったりもする。

2013-12-15 17:52:28
ナオミ @nao73714

例えば国単位での支援や国境なき医師団など人材と財力がある大きな救援組織は手術や入院も可能な二次医療を担い、一定の場所で待ち受けることが得意。 現地での繋がりや輸送手段がある小回りのきく団体はかかりつけ医レベルの医療をなくしている場所を現地情報から見つけ出し一次医療を提供しに出向く

2013-12-15 17:56:43
ナオミ @nao73714

一次医療を請負う者は、必要ならば患者を二次医療に繋ぐ。 同じ緊急医療支援でも得意分野に違いがあり、各組織が守備範囲を担ってゆく。 どこの組織が良い悪いではなく、どちらも不可欠。

2013-12-15 17:58:21
ナオミ @nao73714

かかりつけ医と保険システムは整っているフィリピン。整っていると言っても、約5000人の住民に対して1人の担当医と助産師が位置付けられている程度。診療には市町村内に複数箇所設けられたヘルスセンターという建物を使う。二次機能のある総合病院でも遠隔地なら医師はほんの数人、遠隔地なら

2013-12-15 18:00:19
ナオミ @nao73714

1人の医師体制がほとんどだった。 私の行った地域は、医師助産師が複数亡くなられていたり、マニラに避難していたりで絶対的な医師不足を起こしていた。ヘルスセンターも全壊または半壊で使えない。 医師助産師は担当の地域に必死で足を運ぶが、最初の一週間は薬品がなかった。

2013-12-15 18:02:30
ナオミ @nao73714

薬局もなければ、救援物資としても薬はどこからも入ってこない。ひどい怪我をした人々に破傷風の注射どころか痛み止めの一つも渡すことが出来ず、つらい思いをしたそうだ。

2013-12-15 18:03:54
ナオミ @nao73714

レイテ島のことを少し話そう。 総面積7214㎢。人口約190万人。日本の県と比べると宮城県が近い。宮城県の面積は7285㎢人口230万人。あれ、岡山県7113㎢193万人の方が近いかな。近代的な都市部もあれば一次産業をメインとしたのどかな町もあった自然の豊かな島。

2013-12-15 18:05:34
ナオミ @nao73714

このレイテ島一番の都市タクロバン市と上下9つの市町村は高潮で壊滅的な被害を受けた。そして、ほぼ島内全域において台風の強風のため建物の屋根や壁が破壊された。地方に多い、竹などの木材とココナッツの葉の屋根で作られた昔ながらの家はその多くが丸ごと飛ばされてしまっていた。

2013-12-15 18:07:27
ナオミ @nao73714

タクロバンの反対に位置するオルモックからタクロバンを目指して内陸道路を横断したときは、数時間の道のりを行けども行けども被災風景に終わりが来ることはなく、少し息苦しさを感じた。 違う種類の災害だから、東日本大震災と比べるつもりはないけど、少しだけ想像してみてほしい。

2013-12-15 18:09:29
ナオミ @nao73714

宮城県や岡山県の一番の都市とその上下の市町村が津波によく似た高潮で破壊され多くの方が亡くなられている状態。内陸部も含めて県内すべての場所の建物が破壊され機能出来ない状態。 レイテ島内の陸路はところどころで遮断され、外部から救援に行くには空路か水路しかない。

2013-12-15 18:11:30
ナオミ @nao73714

これがレイテ島だけではなく、複数の島で起こった。被災規模の大きさと救援の難しさを想像していただけるでしょうか。。 http://t.co/Mv8z25My75

2013-12-15 18:15:59
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ナオミ @nao73714

避難所と呼ばれた場所は、通常イメージする避難所とはまったく違った。屋根や窓の吹き飛ばされてしまった学校などの建物の、かろうじて屋根が残る場所に多くの人が身を寄せて雨風を凌いでいただけの場所。写真のこの学校にも多くの人が住んでいた。 http://t.co/SMxvjOtA4E

2013-12-15 18:23:53
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ナオミ @nao73714

私の行った山間部では避難所などなく米農家の蓄えてあった米と、養鶏場の鶏を皆で分け合い凌いだという。 漁村部では何とか残った船で漁を行い、街中の商店に残った保存食や米と物々交換をして凌いだという。

2013-12-15 18:30:49
ナオミ @nao73714

山間部には私たちの行った10日目まで支援が届くことはなかった。漁村では1ヶ月の間に市が配布した一世帯あたり1kgの米と一度来た支援団体の缶詰数個。それでも嬉しくて涙が出たという。 台風ヨランダ通過後も熱低の通過が相次ぎ、人々は雨風と、晴れればうだるような炎天にさらされ続けた。

2013-12-15 18:32:33
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