ネトウヨくんに贈る「通州事件」講座 改

ネトウヨの「日本善玉史観」のために不可欠な通州事件についてまとめました。
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あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

通州事件について、連ツイを始める。まずは矛盾に満ちたネトウヨの訴えを読んでください。

2014-04-09 00:57:32
あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

「南京事件は30万人も殺してないから、虐殺事件なんかなかった」というネトウヨは、同じ年に起きた「通州事件」は「婦女を含む日本人ら223名が殺された大虐殺事件だ、日本人なら絶対に忘れるな」と訴える。@ndoro4

2014-04-09 00:57:55
あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

1945年まで続いた慰安婦制度のことを「いつまで昔のことをしつこく蒸し返してやがるんだ、いい加減にしろ」と罵倒するネトウヨが、1937年の「通州事件」は、忘れるな、教科書に載せろ、中国の蛮行を許すなと、まるで昨日の事件のように叫ぶ。@ndoro4

2014-04-09 00:58:27
あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

慰安婦のことでは「謝罪もすみ、償い金も渡したのにいつまでこだわってんだ」というネトウヨが、相手政府の公式謝罪も受け、賠償金も受け取り、遺族も納得している通州事件だと、70年以上たっても、蛮行を許さない、鬼畜の所業を忘れるなとかまびすしい。@ndoro4

2014-04-09 00:59:07
あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

いったい、通州事件とはなんだろう。どうしてネトウヨはそんなにいつまでも騒ぎまくるのか。じつは、それなりの理由があるのだ。歴史偽造に深く関わる理由がある。そのことを知ってもらうために、これから長い連ツイをする。興味ない人は無視してくださいね。@ndoro4

2014-04-09 00:59:51
あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

通州事件は、たしかにひどい事件だ。【歩兵第二連隊の桜井文雄小隊長の目撃証言(極東国際軍事裁判)】「『日本人は居ないか』と連呼しながら各戸毎に調査してゆくと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の屍体が@ndoro4

2014-04-09 01:00:59
あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

そこここの埃箱の中や壕の中などから続々出てきた。ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた。婦人という婦人は十四、五歳以上はことごとく強姦されて居り、全く見るに忍びなかった。」@ndoro4

2014-04-09 01:01:18
あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

こうした事件がなぜ発生したのだろうか。だがもっと大きな悲劇は他にもあるのに、ネトウヨ偽造史観はなぜこんなに通州事件を特筆大書して騒ぎ立てるのだろうか。そのことを考えてみたい。まずは前史として、事件の11年前までさかのぼる。@ndoro4

2014-04-09 01:02:45
あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

【通州事件前史】1931年(昭和6)年、日本軍は謀略を用いて満州事変を起こし、翌1932(昭和7)年2月、満州全域を占領した。ところがこれで止まらなかった。「満州地方というのは、いまだ中国領土にある熱河省を含む概念である」という無茶な理屈を唱え始めたのだ。@ndoro4

2014-04-09 01:03:16
あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

日本軍は熱河省に軍を送り、ここを奪って北京に迫った。同時に3月、満州を中国から切り離して満州国を独立させた。一連の行為を日本は自衛権の発動だと主張し、満州国独立は満州人の意思だと説明した。軍事的に弱体だった中華民国は、5月、やむなく停戦協定に応じた。@ndoro4

2014-04-09 01:04:26
あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

「ここで満州事変は集結した。後の日中戦争は別の原因で起きた別の戦争だ」というのがネトウヨ史観である。なぜそんなことをいうのか、その説明は後にする。ここではそんな説明が虚偽であることを明らかにしておく。@ndoro4

2014-04-09 01:04:54

↑上の文章中「集結」は「終結」の誤りです。

あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

『昭和十一年度北支那占領地統治計画』という文書がある。支那駐屯軍司令部が作成したものだ。その中に、計画の履歴が記してある。この計画は、なんと1933(昭和8)年9月に参謀本部が『支那占領地統治綱領案』としてまとめたものの改正版だというのだ。@ndoro4

2014-04-09 01:05:35
あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

停戦協定の1年4ヶ月後に早くも中国北部を全面占領する計画案を立てているのだ。こんなものが一朝一夕に出来上がるはずがないので、停戦協定直後から研究していたのではあるまいか。つまり停戦というのは、新たな軍事作戦のための、時間稼ぎだったのだ。@ndoro4

2014-04-09 01:06:05
あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

計画案には、通商政策や工業化計画、通貨発行計画まで記されている。しかし邦人の保護などの計画は全く書かれていない。突発事態に対応する軍事計画ではなく、中国北部を統治して通貨を発行し、日本の勢力圏に置く侵略戦争計画だった。@ndoro4

2014-04-09 01:06:54
あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

戦争をやめる気など、日本軍はさらさらなかった。それどころかさらに戦線を拡大して、中国大陸内部まで手中に収めるつもりだったのだ。そして後にその通りになった。停戦で満州事変は終わった、日中戦争は別の戦争だなどという歴史観など大嘘である。@ndoro4

2014-04-09 01:07:30
あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

翌年、1934(昭和9)年、日本は動き始めた。「対支政策に関する件」を決定、北京を含む華北地方を中国政府から分離する大胆な計画を立てた。そして威力外交を用い、河北省と察哈爾省から国民党勢力と政府軍を追い出した。@ndoro4

2014-04-09 01:08:32
あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

1935(昭和10)年、華北地方を中国政府から分離する仕上げとして、河北省と察哈爾省に親日的なかいらい政権をつくろうとしたが抵抗にあって失敗。暫定的に、小規模なかいらい政権である「冀東(きとう)防共自治政府」を作りあげた。@ndoro4

2014-04-09 01:09:09
あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

「冀東防共自治政府」は日本軍の指導で思いのままに操れる政府だった。自治政府と中国軍を戦わせるため、日本軍の資金でごろつきを集めて軍隊を組織した。これが通州事件を起こした「冀東防共自治政府保安隊」である。いよいよ通州事件に近づいてきた。@ndoro4

2014-04-09 01:10:20
あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

1936(昭和11)年、日本は「第一次北支処理要綱」を閣議決定し、中国分割工作を国策として決定。大陸に続々と軍を送り込んだ。こうした一連の侵略行為に中国国内では民族意識が高まり、小規模な軍事衝突が度々発生、抗日デモや日本人襲撃事件が続くこととなる。@ndoro4

2014-04-09 01:10:50
あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

同年11月、綏遠の戦闘で、日本軍がはじめて中国軍に敗北した。これで中国人の抗日意識はがぜん大きなものとなり、危機感を強めた日本は、「北京に中国軍がいることが平和安定を損なう、軍を引き払え」とわけのわからん理不尽な要求を行い、日本軍を進出させて実力行使の構えを見せた@ndoro4

2014-04-09 01:12:20

負けたのが「日本軍」と書いていますが、日本軍・内蒙軍の連合軍です。日本軍は内蒙軍に軍事顧問を派遣して作戦を指導、航空爆撃で支援しました。しかし内蒙軍地上部隊が壊滅し、日本は局外中立を声明しました。

あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

ひりひりするような緊張の中、ついに1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋で日中両軍が激しく衝突、本格的戦闘に突入した。有名な盧溝橋事件である。これが通州事件の引き金となった。@ndoro4

2014-04-09 01:13:19
あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

【通州事件】自治政府保安隊と日本軍も、中国第29軍と戦闘に入った。日本軍が保安隊宿舎を誤爆したのはこの時だ。もとがゴロツキ、頭にきた彼らは統制もないまま日本人居留地を襲い、日本人と朝鮮人合わせて223人もの市民を無差別虐殺した。@ndoro4

2014-04-09 01:14:02
あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4

保安隊の反乱の動機としては、盧溝橋の戦闘で中国第29軍が日本軍に大勝利したという情報が流れたからだとも言われる。第29軍の大軍が自治政府に攻め込んでくれば勝ち目はない、親日派の保安隊は怒り狂った市民に八つ裂きにされるだろうと兵士は恐怖した。@ndoro4

2014-04-09 01:14:31