写真家福居伸宏氏の泉太郎展「こねる」を見た感想
やばい、帰宅後かなり酔っぱらってきたところで、これから酔眼連投。これは飯を喰らうための毎日のお仕事へのストレスなのかもしれませんが。とりあえず読み返しません。明朝、すっきりした頭になって後悔することがあっても。
2010-11-16 02:22:20泉太郎「こねる」。仮に泉さんのことを知らなくても、B1Fに降りて「鳩」と「日光浴」を見れば、美術関係者なら誰もがこの作家の実力に気づくはずです。「笑い」や「あそび」なんていうのは、あくまでも表層のレベルでしょう。たぶん本質的には関係ありません。
2010-11-16 02:23:05新聞、テレビなどのマスを相手にしたメディアでそういうふうに語られてしまうことは仕方ないと思いますが。もちろん、一般人にもわかりやくすく、かつ深みのある作品を作ることはつねに非常に重要な営みだと思います。「鳩」は、ホワイトボード、バックヤードの順番に見る導線になっているのが、
2010-11-16 02:23:34日本のオーディエンスへの歩み寄りであり、ホワイトボードの消し残しの分量も、わかりやすくするためのサービスだと感じました。おそらく海外での展示であれば、バックヤードとホワイトボードの順番が逆になるかもしれないし、ホワイトボードの消し残しは、
2010-11-16 02:23:57わかるかわからないかのギリギリに留めるのではないかと思いました。泉さんは、そういう部分が表に出過ぎないようにうまくセルフ・マネージメントしていると思いますが、その程度のクレバーさは十分に持ち合わせていて、適宜自在にコントロールしている作家です。
2010-11-16 02:24:18そのアティチュードから、見る目のない、わかっていない方々からあなどられることも多いのでしょうけども。ホワイトボードの側のスピーカーの音量の調整具合とバックスペースの音声とのズレは、日本のオーディエンスのレベルを鑑みた上で、あまりにも分かりやすくしないための適度なコントロールだと
2010-11-16 02:24:49思いました。この「鳩」ですが、奥のバックヤードの作品だけで、十分に展開できるし、並の作家なら(と言うと語弊がありますが)それだけで個展を作れてしまいそうな内容です(cf.Dan Graham "Performer/Audience/Mirror" [1975] )。
2010-11-16 02:25:19鑑賞者がモニターに正対するときの、さまざまなモノの位置に注意。DVDプレイヤーのタイムコードの見え具合や、左の透明のアクリルボックス、背後の鏡の映り込みなどなど。また、がらくたの集積もただ単に詰め込んだように見せていますが、当然のことながら、今回の個展の他の作品への
2010-11-16 02:26:32コメンタリーになっていると思います。そして「日光浴」。この作品はささっと見てスルーしている人がほとんどでしたが、現在、泉さんが取り組んでいることの一部を非常にシンプルな形でわかりやすく提示している作品でした。それ単体でも十分に面白い作品だと思います。その貧しさも含めて。
2010-11-16 02:26:38透明のアクリルボックスと白塗りのニュートラルな台座という、現代美術では頻出する展示用の什器。そして日常の空間においては、貴金属や宝飾品、ブランド品などを見せるために使われるもの。台座の上に置いた、ぞうきん、シャツ、軍手というチープなモノに透明のアクリルボックスをかぶせて、
2010-11-16 02:26:55それぞれ特定の向きからアクリルに映った像の輪郭を黒マジックか何かでなぞってドローイングを描くという、ほとんどお絵描きのような簡単な工程によって制作された作品ですが、ある像をあるスクリーン(透明のアクリル)を通して複写する(すなわち映像)という単純な行為を通して、
2010-11-16 02:27:16オブジェを貴重なものとして価値づける台座とアクリルボックスの中に入ったモノを表象としての像にし、その像をライティングすることによって台座の上でアクリルボックスをかぶせられ、うやうやしくディスプレイされたモノに表象としての像の影を投影し、ぞうきん、シャツ、軍手といったチープなモノを
2010-11-16 02:27:52そのモノ以上のモノに見せるという。つまり、単なる白い布の塊が、表象となる(映像化される)とこによって、それがビロードか何かのような“美しい光沢”をまとい、オリジナルのモノを超えた仮象としての像を獲得するようになるという。要は映像(イメージ)のフィードバックによるサーキュレーション
2010-11-16 02:28:21よって、どういうイメージが生まれ出てくるかという問題。それを肯定的にとらえるか否定的にとらえるかは、すぐさま判断せず、いったんインターバルを置いて眺めてみるという。おそらくは批判精神も旺盛なのだと思いますが、簡単にそっちのほうだけに傾いた作品を作らないんですよね泉さんは。
2010-11-16 02:28:51映像化、表象化された世界の外部に立つことなく、そういう世界の当事者であることをあくまでも受け入れるという態度。
2010-11-16 02:28:58訂正:誰かが書いた批評には興味があっても、私が何らかの批評的なものを書いて、どうこうする何てことに興味はありません。
2010-11-16 02:36:33