お栄(葛飾応為)と北斎~『百日紅』関連ツイートまとめ

お栄(葛飾応為)や葛飾北斎など、映画『百日紅~Miss Hokusai』に関するツイートをまとめました。 葛飾応為「吉原格子先之図」は2015年5月28日で展示を終了しています。
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お栄(葛飾応為)の代表作「吉原格子先之図」について

太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art @ukiyoeota

【本日より映画「百日紅」公開】「百日紅」では、お栄が北斎と吉原遊廓を訪れる場面があります。是非「吉原格子先之図」を思い浮かべてもらえれば。また、エンドロールでこの作品がちょっとだけ映ります。5/28まで太田記念美術館にて特別展示中。 pic.twitter.com/fnbgCex9ZY

2015-05-09 10:36:03
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太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art @ukiyoeota

【本日より映画「百日紅」公開】一見したところサインのない「吉原格子先之図」ですが、男の持っている提灯をよく見ると、お栄の「栄」の字が。お栄直筆です。他の場所に「応」と「為」の文字も隠されていますので、ぜひ探してみて下さい。 pic.twitter.com/JFnlQkCmax

2015-05-09 15:22:10
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太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art @ukiyoeota

【「百日紅」公開中】「吉原格子先之図」の中央で格子越しに会話する花魁と男性客。お栄は、建物の外から、女性の顔を見えないように描いています。それに対し、建物の内側から、男性客の姿を全く見せずに描いたのが英泉(善次郎)。真逆の視点です。 pic.twitter.com/ZKgc2IBWUk

2015-05-10 11:38:40
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【映画「百日紅」公開中】花魁たちが居並ぶ張見世の壁には、一面に大きな絵が描かれていることがあります。応為(お栄)の作品では巨大な松の木が。映画「百日紅」の張見世の壁も、ある人物が描いたある絵がモチーフになっています。お見逃しなく。 pic.twitter.com/rPP6fwDB1n

2015-05-10 11:48:24
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【葛飾応為(お栄)「吉原格子先之図」展示中】提灯の光、周囲をぼんやりと照らしていますが、真下は提灯の下枠があるため、黒い影となっています。応為(お栄)は影の出来方をしっかりと観察していたのでしょう。自然に対する観察眼は父親ゆずりです。 pic.twitter.com/Q7c0BFEtqg

2015-05-10 12:14:24
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お栄(葛飾応為)の『女重宝記』について

太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art @ukiyoeota

『女重宝記』は女性のための実用書で、挿図を応為が手がけた数少ない版本です。画像は様々な身分の女性たちを描いた一図。応為による版画の人物画は少ないのですが、本書からは応為が北斎の画風を受け継いでいることがよくわかります。(続く) pic.twitter.com/VPeWrdEGPh

2014-02-05 13:55:36
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『女重宝記』(続き)左頁の拡大図。着物の柄や髪飾りの丁寧な描写は応為の得意とするところ。右下には「かつしか応為酔女筆」とするサイン。実は応為、煙草もお酒も嗜みました。ちなみに北斎はどちらも好まなかったそうです。 pic.twitter.com/fNCkGCpKQD

2014-02-05 13:59:15
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葛飾応為画『女重宝記』より、様々な身分の女性たちの食事する場面。食べているのは、ちまき、まんじゅう、ごはん、そうめん。当時の食文化もうかがうことができます。 pic.twitter.com/SVU5pLSTIv

2014-02-06 14:57:54
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葛飾応為画『女重宝記』より。多様な身分の男女が登場する本書。ごつごつとした男性の筋肉描写は、北斎からの強い影響を見せています。 pic.twitter.com/QFaMc50d69

2014-02-06 15:38:14
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葛飾応為画『女重宝記』より。出産の場面を描いた一図。産婆さんもしっかりと描写されています。上部に記された胎児の様子も興味深いですね。 pic.twitter.com/IrzwuavqFs

2014-02-08 11:13:06
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葛飾応為画『女重宝記』より。武家と町人の婚礼の場面。やはりいきいきと描かれるのは町人の婚礼でしょうか。新郎新婦の緊張と恥じらい、二人を囲む人々の楽しそうな様子も伝わってくるようです。 pic.twitter.com/MnlkMpjGsK

2014-02-08 11:46:28
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葛飾応為画『女重宝記』より。お産に関する場面を描いた1図(部分)です。上部には、妊娠から十月、それぞれの月の守り本尊と胎児が描かれます。胎児は4ヶ月までは仏具の形をしており、5ヶ月目から人の形となるという、当時の俗信を反映しています。 pic.twitter.com/cHiC3KWEPi

2014-02-19 11:56:35
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葛飾応為画『女重宝記』より。古典に取材したと思われる女性の姿。ふっくらとした着物の質感を、線のみで見事に表しています。着物や帯の丁寧な文様の描き込みも見どころ。 pic.twitter.com/IokdbcYcAB

2014-02-26 12:15:54
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お栄(葛飾応為)のエピソード

太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art @ukiyoeota

【応為(お栄)の話①】北斎は2度結婚をしています。最初の妻との間に一男二女をもうけますが、寛政6年(1794)に死別したとされています。その後、「こと」という女性と再婚し、一男一女をもうけました。姉がお栄、弟が多吉郎です。お栄は北斎の三女にあたります。

2015-03-10 14:24:23
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【応為(お栄)の話②】お栄の正確な生没年は分かっていません。説の一つに、安政4年(1857)に67歳で亡くなったというものがあります。すると、寛政3年(1791)生まれ。『百日紅』ではこの説をとっています。そのため善次郎(溪斎英泉)とは同い年になります。

2015-03-10 14:25:17
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【応為(お栄)の話③】お栄が生まれた年の別の説として、安田剛蔵氏の寛政10年(1798)頃という説があります。これはお栄に直接会ったことのある四方梅彦(1822~96)という人物の証言を典拠とするもの。自分が20歳の時にお栄は40歳前後だったと述べています。

2015-03-10 14:31:04
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【応為(お栄)の話④】お栄の生まれた年が寛政10年(1798)頃だとすると、『百日紅』の舞台となった文化11年(1813)では、数え17歳となります。すると、善次郎(英泉)よりも7歳も下。二人の人間関係も大きく変わってしまいそうです。

2015-03-10 14:33:15
太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art @ukiyoeota

【応為(お栄)の話⑤】お栄は南沢等明という絵師と結婚します。この等明、籠細工の彩色で話題になった程度(『武江年表』)で、作品は現存していません。その師匠は三代堤等琳。このような絵を描いています。 pic.twitter.com/WDobunfRat

2015-03-10 15:59:02
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【応為の話⑥】三代堤等琳と北斎の間には親交があったといいます。『柳の糸』という狂歌絵本では、重政や栄之らとともに挿絵を寄せています。また、一緒に品川の妓楼で遊び、合筆したという話もあります(『葛飾北斎伝』)。こちらも等琳の絵。 pic.twitter.com/kApXHXozlS

2015-03-10 16:01:57
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【応為(お栄)の話⑦】もしかするとお栄が南沢等明と結婚したのも、北斎が友人の等琳に相談し、門人の等明を紹介されたからかもしれません。しかし、仲がうまくいかずに離婚。お栄は北斎の元に戻り、父の仕事を手伝います。

2015-03-10 16:03:37
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【応為(お栄)の話⑧】お栄は等明の絵が自分よりも下手だったので、いつもその絵の下手なところを笑っていたと伝えられています(『葛飾北斎伝』)。『百日紅』で善次郎(英泉)の絵をヘタクソとけなすシーンが何度も出てくるのも、うなづけるところです。

2015-03-10 16:04:58
太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art @ukiyoeota

【応為(お栄)の話⑨】お栄の母親「こと」は、文政11年(1828)6月5日に亡くなりました(『浮世絵百家伝』)。それより前の文化9年(1812)、53歳の頃から北斎は一人で暮らしていたという説があるので(『葛飾北斎伝』)、別居していたのかもしれません。

2015-03-11 13:34:47