C.L.R.ジェームズ『境界を越えて』と社会運動の作法

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直立演人 @royterek

【ご案内】C.L.R.ジェームズ『境界を越えて』邦訳刊行記念 合評会(「日本における社会的排除の分野横断的研究」プロジェクト研究会)/7月18日(土)13:00~15:30/場所:神戸アスレチック&レガッタクラブ/ゲスト:本橋哲也ほか/web.cla.kobe-u.ac.jp/group/Promis/e…

2015-07-16 17:23:46
直立演人 @royterek

CLR・ジェームズの『境界を越えて』の合評会。ジェームズ自身はクリケットという競技をアートとして論じていて、クリケターのその時々の動作に凝縮された運動やそのシークエンスとしてのドラマ性が人びとに与える美的経験を強調するのだが、討議では、試合に勝つための戦術の重要性の指摘があった。

2015-07-20 03:03:40
直立演人 @royterek

世界初の黒人による独立国家を勝ち取ったハイチ革命を扱った『ブラック・ジャコバン』では、ナポレオンについての言及が多々あるのだが、この点を指摘したKさんは、クリケットのような競技における勝敗を、(戦争も含む)政治的世界での勝敗と重ね合わせて考えることの必要性について言及した。

2015-07-20 03:10:49
直立演人 @royterek

CLR・ジェームズの『境界を越えて』の真骨頂は、政治とスポーツをはじめとする文化の不可分性とともに、芸術と競技の等質性を、クリケットという競技を媒介に縦横無尽に論じている点にあるが、この本は、「世界革命」への待望が破れ、ジェームズが最終的にトロツキーと袂を分かった後に構想された。

2015-07-20 03:20:11
直立演人 @royterek

つまり、クリケットという競技を政治と芸術とのかかわりから論じた『境界を越えて』は、マルクス主義やトロツキズムの政治理論とそれに基づいた実践が、リアルポリティクスの現場でまったく歯が立たなかったという苦い経験に対するある種の反動として書かれたと言っても過言ではない。

2015-07-20 03:22:50
直立演人 @royterek

ジェームズの伝記『革命の芸術家』(ポール・ビュール)の記述からは、ジェームズも関わった国際労働運動としてのトロツキスト運動が第二次世界大戦前夜から戦後にかけての十数年間に、政治的な影響力を発揮できずに挫折した最大の理由が、民衆の欲求についての見込み違いであったことが浮かび上がる。

2015-07-20 03:36:32
直立演人 @royterek

要は、民衆の欲求は「かくあるはず/べき」だと想定するあまりに、「かくありき」という単純な客観的事実を見抜けなかったのである。このことはほとんどの社会運動に当てはまるに違いないが、ジェームズはその反省から、民衆が実のところ何を欲しているのかという観点から『境界を越えて』を執筆した。

2015-07-20 03:42:18
直立演人 @royterek

それ故、『境界を越えて』で展開されているクリケットという競技をめぐる政治的機能とその芸術としての美的経験についてのジェームズの分析は、社会運動全般を考える上で大いに参考になる。要は、社会運動のスタイルやデモの性質も、人々のその時々の欲求に合致させる努力がつねに必要とされるわけだ。

2015-07-20 03:52:02
直立演人 @royterek

これはほとんど当たり前のことだが、実際にそれに成功するとは限らない。人々の欲求が社会運動の主体が目指す方向性とそもそも合致しないことも多々あるし、仮にそれなりに合致していたとしても、うまく連動させることができなかったり、それを最大限に活かしきれないことも珍しくない。

2015-07-20 04:00:23
直立演人 @royterek

人びとの欲求が社会運動の主体(というよりはエージェンシーと言った方がいいだろうが)の方向性とが相応に合致している場合、後者につねに求められるのは、人々が何を欲しているのかに対する精緻な分析だろう。そのためにも、社会運動にコミットする人間はつねに「素人目線」に立ち返る必要がある。

2015-07-20 04:10:30