#鳳翔の艦娘講座 番外編 70年ぶりの里帰り

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鳳翔 @Housyou_kankore

さて、ちょっと色々あれがこれなので、少し私のアイデンティティを取り戻す為、お話にお付き合い下さいませんか。 #鳳翔の艦娘講座 番外編

2015-07-16 22:03:31
鳳翔 @Housyou_kankore

神奈川県綾瀬市・大和市に渡る土地に「厚木基地」と云う基地があります。 これは通称でして、公式資料に寄れば「厚木海軍飛行場」と呼ばれています。 海上自衛隊さんと米海軍さんの共同で使われていますこの基地は、元は帝国海軍の基地でした。

2015-07-16 22:05:06
鳳翔 @Housyou_kankore

元の成り立ちは、と云いますと、1938年に海軍が帝都防衛の拠点として着工を始め、1942年に完成をしました。 東京に最も近い事もありまして、整備練成航空隊の相模野海軍航空隊、戦闘機操縦士練成部隊の厚木海軍航空隊などが在駐しました。

2015-07-16 22:08:20
鳳翔 @Housyou_kankore

太平洋戦争後期になりますと、防空隊として三〇二空(第三〇二海軍航空隊)が開隊、以降首都防空の重要拠点として機能をします。 終戦の際、当時の三〇二空司令が降伏を受け入れず徹底抗戦を主張、ほぼ反乱状態に陥ります。

2015-07-16 22:11:13
鳳翔 @Housyou_kankore

ですが、たまたま司令がかかっていたマラリア熱により40度近い熱を出して興奮状態になった為、鎮静剤をうたれて拘束され、漸く三〇二空の武装解除がなった、と云う曰くもあったりしています。 後は、その数日後に連合軍東京占領拠点として、マッカーサー司令が到着したのも厚木ですね。

2015-07-16 22:12:47
鳳翔 @Housyou_kankore

さて、今日のお話のメインですが。 三〇二空が首都防衛の任務に就いていた際、使用された機体に局地戦闘機雷電があります。 この機体は零戦等の艦上機と違いまして、最初から陸上からの運用を前提とし、対爆撃機戦闘・迎撃戦闘を行う戦闘機として作成をされました。 今で云う所の要撃機ですね。

2015-07-16 22:15:16
鳳翔 @Housyou_kankore

雷電は1943年9月から生産を開始され、総数およそ620機程度が生産をされまして、国土防衛の為に飛び立ちました。 この機体に使われていたエンジンが「火星」と呼ばれるエンジンで、元々葉一式陸攻等のエンジンとして使われていた物でした。

2015-07-16 22:18:03
鳳翔 @Housyou_kankore

その「火星」の、整備をする機材を入れていたと思われる用具箱が、6月16日に地元のある農家の方から海上自衛隊厚木航空隊に寄贈をされました。 用具箱はその農家の方と交流があった海軍関係者から譲り受けた物だそうでして、幅63cm、高さ42cm、奥行き35cmと云うサイズだそうです。

2015-07-16 22:20:12
鳳翔 @Housyou_kankore

外側は雷電の外見と同じ深緑色、内部は機内と同じ青竹色に塗装をされ、正面に「火星内部用具2/2」と云うラベルが確認出来るそうです。 長らくその農家の方の家で物入れとして使われていましたが、「厚木基地に返したい」と云う申し出で、今回の用具箱の「里帰り」が決まりました。

2015-07-16 22:22:00
鳳翔 @Housyou_kankore

用具箱は海上自衛隊第四航空群に寄贈をされ、今後基地資料館に展示、教育資料などとして使用をされると云う事です。 戦後70年となりましたが、長い時間を経ての里帰り。これを使っていた人達は、この箱の歴史は、と、想いを馳せるのもまた意義がある事かもしれませんね。

2015-07-16 22:24:21
鳳翔 @Housyou_kankore

以上で、やって来て突然でしたが、 #鳳翔の艦娘講座 番外編、そうですね、タイトルを付けるとすれば「70年ぶりの里帰り」とでもしましょうか。 以上で終わりたいと思います。ご静聴ありがとうございました。

2015-07-16 22:25:53