放課後のプレアデス、YouTube版とTV版の関係
いつ書こうかと悩んでたんだけど……。 放課後のプレアデスが売れなければ、「やっぱり原作ものでないと」「優しいだけじゃなくて、もっとグロ刺激がないと厳しいッスよね」という意見が横行するアニメ業界になってしまう。 私はそれに抵抗しているつもりなのです。
2015-08-04 09:04:52どう返したら良いか考えていたら大分時間が過ぎてしまいました。僭越な物言いしか思い付かないので書くのをためらっていたんですが、書かないのももやもやするので書いてしまいます。現在形のことなのでうまく書けるか分かりませんが。 twitter.com/Hiroe_Suga/sta…
2015-08-30 05:43:29今の日本のアニメ業界がこのままで良いと思っている人は業界内でもそれほど多くはありません。 けれど誰もが状況に問題があると認識しながらも、その状況から抜け出す方法を見つけられていないのが現状です。問題とは、自分たちが「面白いもの」を作れていないのではないかという疑問です。
2015-08-30 06:18:46面白いものとはこの場合「作るに値するもの」「観るに値するもの」のことを指します。そしてそういった「描かれるべき何か」が何なのか分からないままでも作品を作り続けなくてはならないのが問題ということです。
2015-08-30 06:48:34「描かれるべきもの」を持たない物語は終わることが出来ません。目的地を設定せずにゴールを目指すようなものです。どこにもたどり着くことはありません。そうしてさ迷う物語はひどく辛く苦しそうに見えます。
2015-08-30 07:34:25そうなっていった原因の一つは物語の大量消費にあります。「面白そうなことは誰かがどこかですでにやっている」という状態もとっくに通り越し、再生産をひたすら繰り返した結果、物語とはこうでなければならないという定形が出来上がってしまいました。
2015-08-30 07:52:24言い方を変えると、送り手と受け手がそういう共通認識を作り上げてしまったということです。創造力に任せて多様性を探るよりも、既にある型(共通認識)に己を上手く当てはめるのが物語を作るということになりつつあります。
2015-08-30 08:01:58送り手と受け手の共犯関係が上手く機能すれば双方が幸せになれそうなものですが、一方でそれはアニメのハイコンテクスト化という問題も孕むようになります。送り手と受け手の「共通認識」が深まりすぎると、よほど好きな人しか寄り付かなくなる、ということです。それは市場の縮小を意味します。
2015-08-30 08:17:20ようやく放課後のプレアデスの話に戻りますが、実はYouTube版とTV版は真逆の作りになっています。YouTube版は作ろうとするものに対して尺が全く足りなかったため、説明をとにかく端折るしかありませんでした。
2015-08-30 08:26:24普通は描く内容の方を削るのが当たり前ですが、当時はそんな当たり前のことをする気分ではなかったのです。何故かはまた別の話なのでここでは割愛します。とにかく、ともすれば使い古されたような魔法使いと謎の少年などの見慣れたアイコンとその配置で、説明の省略を試みました。
2015-08-30 08:39:05それにしても省略しすぎだったかも、と今では思いますが、YouTube版の目的はとにかく先に繋げることだったので、むしろ未完成なものであることをアピールする必要がありました。そしてまた、短い尺をカバーするためにハイコンテクスト化を選んだのです。
2015-08-30 08:53:22説明を省くということは、言わなくても分かってねという、視聴者であるお客さんへの甘えです。それがここでいうハイコンテクスト化ということです。無茶してますが、当時はとにかくそんな気分だったのです。とにかく映画なりTVシリーズに繋げるために必死でした。
2015-08-30 09:00:22そしてようやく念願叶ってTVシリーズとして再始動することになった訳ですが、そこでの目的はとにかく真っ当な物語を描きたいということでした。真っ当な物語とは何かというのはさておいて、キャラクターの感情をきちんと描くためには様々なアイデアと丁寧な説明の積み重ねが必要です。
2015-08-30 09:19:30どこの誰にでも共感を持って見て欲しいと思って作る以上、放課後のプレアデスがハイコンテクストな作品である必要は全くありません。という訳でYouTube版とTV版は真逆なのです。 念のためですが、魔法やSF的な要素もこの場合ハイコンテクストかどうかとは別問題です。
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