香川県建築士会若手研鑽事業 建築家 藤村龍至 講演会

平成27年11月21日香川県文化会館で行われた藤村龍至さんの講演会の様子などをまとめました。
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Ryuji Fujimura @ryuji_fujimura

高松なう。今日は14:30から講演させて頂きます。申込みしてないけどお時間ある方も飛び込みでぜひ。 >>> 建築家 藤村龍至 講演会 11月21日(土) 14:30-16:30(開場14:00) 場所:香川県立文化会館3F 主催:香川県建築士会青年支部

2015-11-21 11:29:46
shiraishi / ida-10 @ida10

高松。藤村龍至さんの講演会に。(うどん) pic.twitter.com/EeoMAUNYn7

2015-11-21 14:25:34
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もちこ @tts_tes

高松にて、藤村龍至氏の講演会の前にうどんをキメた。 pic.twitter.com/YckWSksbmb

2015-11-21 14:19:51
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sttts @s_tomokazu

昨日参加した、香川建築士会若手建築士研鑽事業「建築家 藤村龍至講演会 縮小時代の建築家像ーソーシャル・アーキテクトをめざして」の感想をまとめておく。今まで何度か藤村さんの講演会を聞いているけど、内容は漸進しつつも、この数回で相当ジャンプしているように思う。

2015-11-22 13:03:29
sttts @s_tomokazu

きっとそれは藤村さんに求められる役割が大きく変わってきた、そして藤村さんのその求めに対して果たした結果によるところが多いんだろうなと想像する。

2015-11-22 13:04:57
sttts @s_tomokazu

講演会は(本来がどうかは別にして)3部構成。最初は参照すべき歴史を紐解きながら、その当時の社会情勢、どういう社会が建築をつくらせたのか、あるいはその時代に建築家がどのような役割を果たしたのか、という流れから、では現代はどのような時代なのかを読み解いていく。

2015-11-22 13:07:09
sttts @s_tomokazu

最初は1960年から70年を「戦後の時代」主役は丹下健三。広島の「ピースセンター」と「香川県庁舎」前者ではコンクリート構造やピロティという近代建築の要素が注目されるが、丹下がつくりたかったのは集会のできる広場をつくりたかったのでは。広場の政治性が実現された。

2015-11-22 13:11:05
sttts @s_tomokazu

後者では当時の金子知事の理念・思想である「戦後民主主義」を建築化したもの。この建築でもピロティや木割のプロポーションという建築的な操作だけでなく、センターコアを採用することによって、四周の立面が同じになり、全ての方向に開かれる。政治家の思想と建築家の関係が強い時代。

2015-11-22 13:14:51
sttts @s_tomokazu

その後も「代々木体育館」「香川県立体育館」など戦後日本が国際社会の表舞台へ戻ろうとする中で、坂倉準三による「新宿西口広場」で機能主義・近代主義の行き詰まりに至る。1969年の反戦運動で集会が行われた際に、警察の取り締まり(広場ではなく通路であるという解釈)により集まる場所を失った

2015-11-22 13:19:32
sttts @s_tomokazu

そして70年代の「個の時代」高層建築物が建つようになった時代の「巨大建築論争」を経て、建築の巨大化に対する無批判の時代となった。都市性が建築の主題となったり、巨大さによって建築と都市とが無関係となる「ビッグネス」を経て、次の「虚構の時代」へと至る。

2015-11-22 13:23:23
sttts @s_tomokazu

1995年をひとつのターニングポイントと藤村さんは考えている。地下鉄サリン事件・Windows95によって前者は都市の脆弱性を、後者によってコミュニケーションの中心がリアルな場所から情報空間へと移ることとなった。その一方でゼネコン汚職等を受けて建築の透明性が求められるようになった

2015-11-22 13:29:45
sttts @s_tomokazu

その透明性をリテラルに表現した建築が「せんだいメディアテーク」磯崎新を審査員長としたコンペで、伊東豊雄が選ばれた。その時代の、その社会の声に応じてつくられた建築。そしてもうひとつ、新居千秋による「リアスホール」市民ワークショップを50回以上繰り返し、複雑な立体の建築物となった。

2015-11-22 13:36:23
sttts @s_tomokazu

ところで新居千秋は1990年代に「水戸市西武図書館」を設計している。この建築は水戸市長の「水道をひねっても文化は出ない」という強い意思によってつくられた(水道敷設が遅れている地域への供給を強く求める人たちへの説明)政治家の個の強いリーダーシップに対してつくられた建築。

2015-11-22 13:43:18
sttts @s_tomokazu

それが時代が変わり、集合的に考える、市民が考える時代となった。同じ建築家によるものとは思えない建築ができた。

2015-11-22 13:45:29
sttts @s_tomokazu

2010年「縮小の時代」東日本大震災によって被災した都市を巡った。「みんなの家」や「りくカフェ」と言った建築を中心にした復興を目指すところもあれば、陸前高田では10mぐらいの嵩上げを行っている地域もある。土木の持っている強い力と建築の持っている人々の気持ちをつなぐ力について考える

2015-11-22 13:50:52
sttts @s_tomokazu

続いて藤村さんの「超線形設計プロセス論」について。漸進的なプロセスによって建築設計によって統合プロセスをブラックボックス化せずオープンにする。プロセスがオープン化することで多くの人を巻き込むことが可能になる。これらをつかって「縮小の時代」における建築家像・プロジェクトについて紹介

2015-11-22 13:56:12
sttts @s_tomokazu

「鶴ヶ島プロジェクト」鶴ヶ島市では1992年から2011年にかけて土木・建築にかける年間費用と社会保障にかける費用が逆転した。将来を見据えた計画はできず、何か問題が起きた後に応急措置をすることしかできない。役所の担当課レベルでは分かってはいるが、行政としては公にはできていない。

2015-11-22 14:03:05
sttts @s_tomokazu

行政が公にしていないから大学の課題ということで取り組み、ワークショップを開催した。最初は技術的な質問が大半だったが、途中から理念の話へ進む。議論を繰り返しながら投票によってブラッシュアップを行った。同時に市民側は自分たちの未来について考えるようになった。

2015-11-22 14:06:37
sttts @s_tomokazu

その後、市役所ロビーによる展覧会や市役所でのシンポジウムも開催した。このような構造改革を伴うことは内部からのみでは起こりにくい。大学のような「外部」が参加することで議論が起こる。

2015-11-22 14:09:17
sttts @s_tomokazu

同じ鶴ヶ島で、養命酒の工場の跡地利用について相談を受けた。メガソーラーを市街地につくることができるようになって、合わせて環境学習施設を計画した。今回は大学院生10名がそれぞれ提案し、それに投票を行うことで3案まで絞ることとなった。ここでの投票は多数決だけでなく評価のポイントを得た

2015-11-22 14:12:54
sttts @s_tomokazu

3案で見積りを行い金額を出す。予算の約230%ほど。予算に対して要望が大きすぎることが分かり、減額ワークショップを行った。「設計の本質は減額調整にあり」の名言の通り、それぞれの案の良さ・要素を統合していく。これらも開かれた設計プロセスによって実現できた。

2015-11-22 14:16:41
sttts @s_tomokazu

その後も塗装ワークショップ等により、建物の維持管理についても住民主体で行えるようなことを提案。建築から財政〜まちづくり〜行政の政策課題を大学でスタディすることに可能性があると考えられた。その後も「大宮東口プロジェクト」や「まちラボおおみや」「おとがわプロジェクト」に取り組んでいく

2015-11-22 14:20:16
sttts @s_tomokazu

それらの取り組みの中でプロフェッサーアーキテクトの可能性について考えた。「産・官・学」の「学」が求められるとき。それは理念や構想をかたちにしたいときである。「学」を実験の場として、社会の思想を建築で考えることが可能となる。

2015-11-22 14:22:56
sttts @s_tomokazu

ソーシャル・アーキテクトは、1.みんなで集合的に考える 2.段階的に考える 3.判断を尊重して思想が現れるように設計する ことだと定義付けることができる。プロフェッサーアーキテクトがそうであるように中間的な専門家集団としての役割に可能性を感じる

2015-11-22 14:25:34
sttts @s_tomokazu

藤村さんは昔から「設計プロセス」についての評価を強く宣言しているけれど、たぶん僕も含めて当時の多くの人はあまりよく分かっていなかったのではないかと思う。少なくとも僕はそうだった。要は「結果が全て」的な反論は多かった。けれどここ数年はちょっと変わってきたように思う。

2015-11-22 14:30:28