【ミリマスSS】音の雪 #1【真壁瑞希】
ザー、とも、サー、とも形容しがたい、静かな静かな音が鳴っていた。敢えて形容するとすればそれは、雨でも風でもなく、そう、ちょうど、雪の降る音が聴こえるならこんな音なんだろうな、という、少し冷たくて寂しい音。無音ではあるのだが、何も聞こえないわけではない。これも一つの音の形だ。 02
2016-02-09 18:07:25宇宙とは、と俺は空想する。宇宙に音は存在するのだろうか。以前、仕事の関係で、某動画投稿サイトの流浪の民となっていたことがある。そこに「宇宙の音」という動画があった。俺は興味を引かれ、すぐさまその動画をクリックし、視聴した。 03
2016-02-09 18:13:00宇宙で聞こえる音というのは(その動画を信じるならば)、『ブレードランナー』OPに流れるあのテーマ曲のような、あるいは、真っ暗な地下巨大空洞を吹き抜ける風のような、はたまた、ステンドグラスから七色の光射し込む大聖堂を震わせるパイプオルガンのような、ずんと重く響く重低音らしい。 04
2016-02-09 18:16:38俺はその神秘的な音に打ち震えた。しかし「これは電磁波を音波化したものであって、音じゃない。そもそも宇宙には空気がないんだから音が聞こえるはずない」という旨のコメントが書いてあった。なるほどそれは確かにそうだが、それはそれでロマンがない。ならば、ロマンはどこだ。 05
2016-02-09 18:20:52『マクロス』に登場するアイドル、リン・ミンメイのあの透き通るような歌声は、宇宙に響き渡り皆の心を繋いだあの歌声は、通信機を介してしか聴けなかったのか。物理学的にはそうだろうが、プロデューサーである俺の心情としては、物理学なんか知ったこっちゃない、という感じだった。 06
2016-02-09 18:23:48アイドルの歌声は宇宙までもどこまでも遠く長く響く。俺はそう信じている。ロマンはアイドルと共にある。 07
2016-02-09 18:26:04「……これでオッケーですか、ブルフP」無音の時間が終わり、瑞希の声が聞こえた。大丈夫だ、問題ない。「ああ」俺《・》の声だ。俺《・》の声は、こうして改めて聞くと気色悪い。別に俺はナルシストじゃないからな。とはいえ、今は仕事なので、我慢して聞くしかないだろう。 08
2016-02-09 18:29:13俺《・》が瑞希に仕事の説明をしている間、俺は、会話の合間合間に挿入される、瑞希の「はい」だとか「了解です」だとかの相槌に耳を澄ましていた。やはり、この仕事に瑞希を選んで正解だった。瑞希の声には、えも言われぬ魅力がある。あえて形容するならば…… 09
2016-02-09 18:36:20その声は、地面に生えた若葉に、雲間から舞い降りた一輪の雪結晶がじんわりと染み込んでいくような、柔らかい声。これだけでこの世界を闘っていけるのではないかと錯覚するほどだ。 10
2016-02-09 18:39:31声優アイドルというのは現実に存在する。有名どころで言うならば、346プロの安部菜々さんなどが筆頭だろう。キャラの濃さでは瑞希だって負けていない自信があるし、そっちの方面を模索していくのも、アリっちゃアリだ。それを決めるのは俺じゃないが。 11
2016-02-09 18:42:01「では、私はどうすれば」俺の説明を咀嚼した瑞希が俺《・》に訊ねる。俺《・》は調子よくこう言った。「いつも通り、普通に過ごしてくれたらいい。特別なことはしなくていい。それが魅力になる。今回は、そういう仕事なんだ」俺《・》には聞こえないくらいの小さなため息が、聞こえた。 12
2016-02-09 18:45:13説明をあらかた終えた俺《・》の革靴が床を叩く音が、遠ざかっていく。765プロスクールの廊下に静寂が満ちる。ジー……と、側にある自動販売機の冷却機稼働音だろう、機械的な音だけが聞こえている。他のアイドル達は誰もいないのだろう。 16
2016-02-09 18:53:27さて、ここから先しばらくの瑞希の行動は、俺の預かり知らぬところだ。俺は瑞希の一挙手一投足も聞き逃すまいと、全神経を耳に集中させる。「……プロデューサー」瑞希がそう呟いた。独り言だろうか。瑞希に限って、陰口の類ではないだろうが。「少し頭が悪いんじゃないでしょうか」陰口だった! 17
2016-02-09 18:56:36瑞希はまたしても小さなため息をつく。瑞希がため息をつくところなんて、普段はほとんど聞いたことがなかったが、もしかすると普段からこれぐらいため息をついているんだろうか。「仕事を任されたからには、何もしないわけにはいかないじゃないですか」まったくそのとおりだ。 18
2016-02-09 19:00:44革や布が擦れ、身体が軋んだ。瑞希が鞄を持って立ち上がったのだ。下方で靴音が鳴り出す。靴音は遠ざかることも近づくこともなく、一定のリズムで鳴り続けている。瑞希が歩いているのだ。今回の収録に用いたのは、最新鋭の特殊マイクだ。瑞希の耳に色形がフィットし、パッと見では違和感がない。 19
2016-02-09 19:03:38そのマイクは、瑞希の耳以上に精密に、周囲のあらゆる音を拾い上げる。音量、音質、音の方向、距離、全て、瑞希が聞いている音と同じかそれ以上によく聞こえる。すなわち、このマイクで録音した音声をヘッドホンやイヤホンで聴けば、その日その時の音声を、最高級の臨場感でもって聴けるのだ。 20
2016-02-09 19:08:27音というものは、とても高いイメージ喚起力を持つ。瑞希が歩けば俺も歩いているように感じるし、瑞希が座れば俺も座り、瑞希が喋れば俺も喋っているように感じる。俺は今、三日前の瑞希と完全に同調《シンクロ》していた。 21
2016-02-09 19:11:13さてこの企画の主旨を説明しよう。この世界には『音フェチ』という概念が存在する。俺にも若干そのケがあるのだが、革や布や特殊プラスチックを叩く音、毛布を撫でる音、水の流れる音、紙をめくる音などを聴いていると心地よくなる。上級者になれば、それだけで性的に達することができるらしい。 22
2016-02-09 19:15:20