1部 4章 1節【銀流しの船】

入江の魔人シリーズ第5弾
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えみゅう提督 @emyuteitoku

砲弾が同時に両耳をかすめる。水平に構えた連想砲から発射された弾は彼女の顔の両側面を通り過ぎていった。決して当てない自信があるからこその危険な威嚇射撃、そしてその精度を信用するからこそ彼女に動揺などありえない。風に揺れ弾に当たった髪がはらりと水面に落ちた。 1

2016-02-14 23:26:34
えみゅう提督 @emyuteitoku

「なぜここにいる、筑摩…!」微動さえしない艦娘に、主砲を撃ったリ級が憎々しげにつぶやいた。筑摩と呼ばれたのは長弓を携えた艦娘、どう視点を変えても重巡には見えない。だが筑摩という呼び名に対し彼女は疑問を持たなかった。「今は貴女がチクマでしょ?」 2

2016-02-14 23:27:58
えみゅう提督 @emyuteitoku

適性合格、建造完了、訓練終了、進水式、全て志願兵として艦娘を目指す者の至福の節目だ。そしてその先にある訓練兵という名を捨てる瞬間、着任式のために彼女は北へと向かっていた。筑摩はその瞬間を前にして湧き上がる喜びを抑えきれなかった。 4

2016-02-14 23:29:45
えみゅう提督 @emyuteitoku

「ん~!よっし!大丈夫かな?艤装つけ間違ってない?」興奮する筑摩に護衛隊員は苦笑いを返した。「間違ってたらこうして浮いていられませんよ。落ち着いてください」筑摩の護衛を務めるのは3人、いずれも艦娘ではなく、人間が艦娘と同じように水上を歩けるよう装備を整えられた軍人だ。 5

2016-02-14 23:31:04
えみゅう提督 @emyuteitoku

海上歩兵と呼ばれる彼女達は、駆逐艦1隻を集団で相手取るのが精いっぱいの小さな戦力だが、今日護衛を任されている3人は艦娘の発見と同じ時代から海の上を走ってきた歴戦の兵士である。「まあまあ、チャーリーさんや、浮かれるのも仕方ないって私達だって同じだったろうに」 6

2016-02-14 23:33:49
えみゅう提督 @emyuteitoku

護衛隊員達は互いに区別称で呼び合う。「アルファは緊張感が足りません!筑摩さんも着任してからが本当の闘いなんです。それに今だって何が出てくるかわからないんですよ!」がやがやと話す二人を見て筑摩は私語を交えている時点でダメなんじゃないかと首を傾げた。 7

2016-02-14 23:34:50
えみゅう提督 @emyuteitoku

隊列を崩し任務の姿勢について語らう二人をしり目に最後の一人、ブラボーが筑摩に話しかけた。「ねえ、ここだけの話なんだけど…今なら諦められるよ」唐突に悪魔の誘いが持ち掛けられた。前方にも聞こえたのかアルファとチャーリーも足を止めた。ただならぬ雰囲気に筑摩は冷や汗をかく。 8

2016-02-14 23:36:03
えみゅう提督 @emyuteitoku

「えっ、なんです?この空気」不安そうな筑摩を見てアルファはため息をつく。「ま、ここらで話してもいいか。私達ね、何度か艦娘を逃がしたことがあるの。護衛失敗、沈没ってことにしてね」筑摩は衝撃を受けた。「それって…軍規違反、ですよね」彼女の問いにアルファは首を縦に振る。 9

2016-02-14 23:37:48
えみゅう提督 @emyuteitoku

「わかっていると思うけど、幌筵島は最前線。南には及ばないけど戦闘が激しい戦線さ。とてもじゃないけど連れていけないような怯えた子は逃がしてきた」怯えた、その言葉が筑摩の琴線に触れる。「なんですか。私はそんなに臆病にみえますか!」筑摩は声を荒げる。 10

2016-02-14 23:39:26
えみゅう提督 @emyuteitoku

アルファは、今度は首を横に振った。「いいえ、貴女は強いよ、きっと強くなれる」「ならなんで!――その、怯えたなんて…」アルファの冷たい目線が沸騰した筑摩の頭を瞬時に冷やした。彼女は話を続ける。「貴女が着任する予定の泊地だけど、ちょっと提督が変っているって話でね」 11

2016-02-14 23:40:38
えみゅう提督 @emyuteitoku

彼女が言うには、昔幌筵にいた提督は功を焦る傾向があるものの、戦果を得るための努力を惜しまない人だった。艦娘が発見されたばかりの、海上歩兵が主流の時代にわずかな艦娘でウナラスカ近海まで戦線を押し上げた英雄だった。敵基地占領まで後わずかというところで悲劇が起きた。 12

2016-02-14 23:43:37
えみゅう提督 @emyuteitoku

旗艦那智の喪失、もちろん泊地には他にも手練れの艦娘がいた、提督も仲間を一隻失ってへこたれるような人間ではなかった。しかし、那智の沈没を境に、北方の深海棲艦は過去に例がない統率を見せ、その後一切の反撃も許されることなく、それまでの制海権をすべて失った。 13

2016-02-14 23:45:29
えみゅう提督 @emyuteitoku

「で、自殺しちゃったんだ。本当に、いい人だったんだけどね。今いる変なのは新人でね、信用できないんだよ」熟練の提督が死という逃げ道を選んだ海域に向かっている、その事実を聞かされても筑摩の胸中に恐怖は一抹も生まれなかった。「でも、幌筵は今でも健在なんですよね。なぜですか?」 14

2016-02-14 23:46:31
えみゅう提督 @emyuteitoku

筑摩の質問にアルファは顔をしかめる。「半分ないようなものだよ。運よく敵艦隊を追い返しているようだけど、ぽっと出の新米じゃどこまで持つのやら」「どんな戦力で、ですか?」食い気味に筑摩が質問する。「えっと…ブラボーさんや、今の幌筵はどんな感じ?」 15

2016-02-14 23:48:09
えみゅう提督 @emyuteitoku

「白露型駆逐艦が一隻、前任が最後に救助した艦だね」アルファに質問されたブラボーは影のある顔で答えた。ブラボーから伝染する重い空気を、筑摩はニカっと笑って跳ね返した。「運が通用する相手ならその程度の敵、実力で追い返しているなら提督は天才。うん!問題なし!」 16

2016-02-14 23:50:15
えみゅう提督 @emyuteitoku

筑摩の輝く笑顔を見て、索敵に従事していたチャーリーがふき出した。「ぷっはは、ダメですねこの子」「あーあ、こりゃ本物だ。わかった、連れてくよ」アルファも諦めて軽い溜息を吐く。筑摩も照れて笑う。4人の中でブラボーだけが、暗い表情のままだった。「じゃあ、貴女沈むわ」 17

2016-02-14 23:52:03
えみゅう提督 @emyuteitoku

再び重い空気が流れ込む。「ちょっと、もうそれはいいって」「だって、どうしようもないでしょう?逃げる気がないなら、やられるだけ」ブラボーの顔が引きつる。「今の提督も散々ね。自分は関係ないのに前任が怒らせた奴にさ、立場が同じって、それだけで恨まれるんだから」 18

2016-02-14 23:53:47
えみゅう提督 @emyuteitoku

「ただ戦線を押し上げるだけでよかったのに!変に気張ってさ、アイツの仲間を沈めたから、怒らせちゃったんだよ。アイツは仲間と一緒に、逃げていただけなのにね」ブラボーが吐き出す重い空気に負けぬよう、筑摩がおずおずと手を挙げた。「何か…北方海域には何かいるんですか?」 19

2016-02-14 23:55:33
えみゅう提督 @emyuteitoku

ブラボーは粘つく視線を筑摩に向ける。「巡洋艦二隻に駆逐艦四隻だった深海棲艦部隊、今は駆逐の数が三隻ね。深海棲艦同士で撃ち合っている事がよくあったから、裏切り者の集まりじゃないかって噂してた。その艦隊の旗艦が、まあやばいことやばいこと。笑えるよ、あれは」 20

2016-02-14 23:57:05
えみゅう提督 @emyuteitoku

おどける彼女の表情は言葉とは裏腹に硬く暗い。「たまたま、見かけたから攻撃したら、運よく一隻沈めちゃってね。そこからさ、アイツが先頭に立ってきたのは。最初に那智さんがやられて、後はどんな順番だったか、あの頃は人数が多くてね…備蓄がなくなるころに皆が口をそろえたよ」 21

2016-02-14 23:58:16
えみゅう提督 @emyuteitoku

「私たちは裏切り者の居場所を――ジュデッカ・ゲットーを怒らせたんだ、ってね」ブラボーの話はその旗艦の呼び名で締めくくられる。その艦は北方で戦い続けてきた彼女だけが知っている。その姿は黒煙と恐怖に埋もれて彼女自身でも思い出すことはできない。 22

2016-02-14 23:59:58
えみゅう提督 @emyuteitoku

恐怖で震える心を落ち着かせようと固く瞼を閉じるブラボーの両肩に、筑摩は力強く手を置いた。「そいつを倒せばいいんですね。委細承知です!」どんな敵にも、どんな重苦しい空気にも負けないという、愚かで輝かしい意志を筑摩は持っていた。ブラボーは呆れて額に手をやった。 23

2016-02-15 00:01:58
えみゅう提督 @emyuteitoku

「はぁ…まさか、逆に励まされるとはね。言ったからには、仇を取ってよね…護送再開!」ブラボーは微かに笑顔を見せて、持ち場につく。しかし、チャーリーは手元の電探画面を凝視したまま動かない。それをアルファが注意する。「索敵は走りながらでもできるでしょう。持ち場戻って」 24

2016-02-15 00:03:34