「死ぬくらいならサボローぜ!」一枚の二次創作イラストに寄せられた共感の声(視覚過敏対応デコ版)
- 2016.03.15追加。ちょい長めになってしまったので迷ったのですが。記事抜粋+補足ツイです。
松本俊彦のこころと向き合う:/12 覚悟の自殺はあるのか - 毎日 mainichi.jp/articles/20160… “一つ言えるのは、自殺者の行動は矛盾に満ちている/矛盾が示唆するのは「覚悟」ではなく「迷い」だ” “警察官に強制的に追い返された人たちのその後を調べたところ、→
2016-03-15 02:43:21→数年後の生存率は9割超だったという。その時の支援が「パトカーに乗せて自宅に送り届けた」だけであったことを考えると、生存率の高さに驚く。おそらく、ちょっとした手助けが心のてんびんの傾きを変え、命運を分けるのだろう。”
2016-03-15 02:43:38これホントよ。ほんのすこしの傾きが命の分け目を変えることがある。だからこそ、いのちの電話も、友人への気遣いも、サボローの漫画一枚ですら、命をつなぐ細い糸になるかもしれない。
2016-03-15 02:45:43松本俊彦のこころと向き合う:/6 「死にたい」と言える社会 - 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20150… “2日後、彼は自ら命を絶った。今でも私は、「もしもあのとき質問していれば……」という後悔の念にさいなまれることがある。→
2016-03-15 02:55:04→“思うに、自殺の多くは、その人の「死にたい気持ち」に気付かなかったことによって生じている。例えば精神科臨床では「死にたい」と訴え続けながら何年も生き延びている患者は珍しくないが、それは決して「『死ぬ』と言うやつに限って死なない」からではない。→
2016-03-15 02:56:04→“「死にたい」と訴えて主治医の注意を喚起することで「首の皮一枚」でかろうじてこの世に踏みとどまっているのだ/悩める人から「死にたい」と言われたら、感謝すべきなのだ。人は追い詰められるほど「死にたい」と言いづらくなる。そのような状況に追い詰められた自分を恥じているし、→
2016-03-15 02:57:11→“告白を軽く受け流される不安におびえ、安易な励ましや説教を恐れている。意外に思うかもしれないが、告白が場の空気を白けさせ、相手を悩ませることへの気遣いもある/だが、何も言わずに逝かれるよりは、チャンスを与えてほしい−−。たとえチャンスを生かせなくとも。”→
2016-03-15 02:57:47→“だが、何も言わずに逝かれるよりは、チャンスを与えてほしい−−。たとえチャンスを生かせなくとも/「死にたい」という言葉には「死にたいくらいつらいが、このつらさが少しでも和らぐのであれば、本当は生きたい」という意味がある。 求められるのは、安心して「死にたい」と言える社会だ。”
2016-03-15 03:15:55“安心して「死にたい」と言える”とは、弱音を吐いても責められたり負担を掛けたりしないでいられる、安心して弱音を吐ける社会ということだと思う。「病は市に出せ」だ。皆の間に弱音や困り事を置いても、それが邪魔にされないでちょっとずつ助けてもらえて、息をつけるなら簡単に死にはしない。→
2016-03-15 03:10:15→「病は市に出せ」についてはこちらのメタまとめ収録のまとめ内に詳しくでているので、ご案内しておく。 「森川すいめいさん「自分の助け方」「自死の少ない町」シリーズリンク集」togetter.com/li/779197
2016-03-15 03:18:51